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10月のある平日の午後、しぶとい残暑の日差しの中、好き勝手に成長して生い茂った、名もなき雑草たちを眺めて、悠子は、ため息をついた。
夏の間に、ぼうぼうに伸びた草や茎の中には、枝のように木質化したものもあった。
数ヶ月、庭の手入れを怠っていたことに後悔しつつも、悠子は自分に言い聞かせる。
———忙しかったんだし、仕方がないじゃない。
鎌で茎や枝を一心不乱に刈りながら、悠子は回想していた。
週4日のパートに、家事、育児、町内会の班長の役割。それに加えて、祖母の介護の手伝いまで加わったこの1ヶ月間の日々を。
近所のホームセンターでのパートは、この1ヶ月は、事情を話して、週1回、午前中のみの時間帯に減らしてもらっていた。
———次の出勤のとき、何か菓子折りでも持って行かなくちゃ。
悠子は、「ひっつき虫」と呼ばれる枝豆のような形の植物が、ズボンに大量に付着したことに気づき、イラついた。
悠子の実家は、自宅から車で5分ほどの同じ町内にあり、現在小学6年の一人息子である啓太が小さい頃——つい数年前まで——は、よく預かってもらっていた。その実家の母が痔の手術をすることとなったため、実家で同居している母方の祖母の介護と、母の入院の世話で、1ヵ月間、毎日、悠子は実家や病院へ通った。
祖母のカツノは89歳で、数年前から認知症を患い、悠子に対し、悠子の母親である栄子と区別がつかなくなるほど、つまり、孫と娘を間違えるほど、ここ1年ほどで症状が進んでしまった。何度も同じことを言い、古い記憶はあるものの、新しい記憶は皆無であり、会話をするのも骨が折れる。ただ、自力でトイレには行ってくれるので、それだけは救いであった。
ただ、食事したことを記憶せず、すぐに空腹を訴えてくるため、少量ずつの食事を1日に9回に分けて与えると栄子が決めていた。それに倣って食事の支度をしなくてはならないことに、悠子はめんどくささを通り越して、憤りすら感じていた。
「お母さん…あのさ、おばあちゃんを介護施設に預けるつもりはないの?」
着替えを洗濯して、病室へ届けた際、薄情だと言われることを覚悟しながらも、悠子は栄子に臆せず訊いた。まだ、母の入院5日目のことだった。
「今回あなたには面倒をかけて申し訳ないけれど、普段お母さんは、まぁ大変なんだけど、預けるほどは大変に思っていないし、介護ヘルパーさんも来てくれてるからね」
と返されて、悠子は面食らった。
本当に大変じゃないのだろうか。
今回、たった1ヵ月経験しただけで、もう二度とやりたくないと悠子は思っていた。
数十年後、もし母の栄子がカツノと同じようになっても、栄子のような献身的な介護が自分にはできるとは悠子には到底思えなかった。
母は意地になっているのではないか。
父方の祖母が、昨年グループホームへ入居したのだが、その祖母を引き取らずに済むように、引き取れないという言い訳を作るために、自分の母親の介護を続けているのではないか、という疑惑も悠子はうっすらと持っていた。
———お母さん、偽善的なところ、昔からあったしな。
それでも、カツノにとっては、娘と一緒に過ごせることは幸せかもしれない。偽善であっても、全然優しくなれない孫娘よりかはマシか、と悠子は一人ごちた。
でも、栄子の痔だって、介護のストレスから来ていないとは言えないのにな。
悠子は思い出す。
明日、栄子が退院するという日のこと。悠子が用意した食事を摂りながら、カツノは、悠子に向かって、
「私は啓太が大人になるまでは生きられないかもしれんのやな」と言って、突然さめざめと泣き始めたのだ。
「おばあちゃん…そんなこと。きっとおばあちゃんは長生きするよ。長生きしてよ」
心にもないことを悠子は言った。
そのときは、カツノは珍しく、悠子のことを孫、その息子である啓太がひ孫である、ということを認識していたようだ。
そして、そのひ孫の成長を見届けられないと言って、泣くカツノに、悠子は正直呆れた。この人は、何歳まで生きたいのだろう——————。
「ふぅ、こんなもんかな…」
庭掃除を始めて、1時間半が経っていた。
目立つほどに伸びた草は刈られ、地面が見えるほどになっていた。
それにしても、このひっつき虫という雑草。
まだ青々としているものはもちろんのこと、枯れて乾燥した茶色のものまで、ものすごくよくくっつく。靴と、ズボン、Tシャツにたくさんついてしまった。抜く瞬間にまで、生命力を振り絞って、人間に飛びついてくるみたいだと、悠子は思った。
———まるで、植物界のゴキブリね。
悠子には、このくっつき虫と呼ばれるしつこい迷惑な雑草と、逃げ足の速いゴキブリが同類に思えた。
悠子はゴキブリが大の苦手で———得意な人などいないだろうが———何が苦手かというと、他の虫のように、のろまですぐにつかまるような間抜けさがなく、人間に見つかったときの「ギクッ」とした態度や、なんとしても逃げ切って生き延びようとする、あの「生への執着」が忌まわしくて仕方がないのだった。
———虫のくせに、なんて奴…!
そうして、今まで冷却スプレーなどを使って、一網打尽に退治してきた。
あの姿、行動、存在全てが憎らしくてたまらない。
———嫌われ者に限って、生への執着が酷いわ。
逆を言えば、生への執着が酷いから、生命力とか繁殖力が強くて、嫌われるのよね。
悠子は、庭を見回す。今日はここまでにしよう。
あぁ疲れた。少し早いけどお風呂でも沸かそうかしら。
そのとき、携帯電話が鳴った。
栄子からであった。
「お母さん?どうしたの」
「悠子?おばあちゃんがね、容体が急に悪くなって救急車呼んで、今病院にいるの。もしかしたら、また何かお願いすることになるかもしれない、そのときはよろしくね」
栄子は気が急いているようで、一気にまくしたてた。
分かった、と言って悠子は電話を切る。
そして開封後、少量しか減っていなかった除草剤を、惜しげもなく庭に撒いた。
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