悲憤慷慨

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 先日もユーチューブ見てたら虎がへそ天しながら人間に餌をもらって食べてるシーンを目の当たりにして言わずもがな野生の虎では有り得ないことだが、野獣も人間同様、環境によってはアポステリオリにこうも変わり果ててしまうものなんだなあと思った。  それは特殊な例だが、人間にとって特殊な例と言えば狼少女かな。あれは捨て子が狼に育てられたんだよな。そんな運命もあれば僕みたいな運命もある。僕の人生も別の意味で稀でとても普通とは言えない。僕の言う普通の人生とは昭和の価値観で言えば、定職に就いて結婚して子供を作ってマイホームを建てて自治会に入って子育てしながら近所付き合いを巧くやる。そういう男って99.9%世間体を気にして当たり障りなく生きることを至善と心得る俗物にしかならないんだよな。枠の中に綺麗に収まってさ、絶対、枠の中から食み出すようなことはしないんだよ。ムラ社会に何の疑いもなく順応しようとどっぷり浸かって束縛され自由を奪われ本当に好きなことやりたいことが世間の目に押し拉がれて出来ないでいる。例えばスポーツカーに乗りたいけど、まず妻に反対され、それだけで参ってしまい服従する。仮令、セカンドカーとして所有出来る条件が揃ったとしてもだ。で、休日も家族でファミリーカーに乗ることを強いられ、僕が独りでスポーツカーに乗っているのを目の当たりにしたならば、死んだ魚のような目をしていながらも敢えて笑って見せる。虚勢を張るべく端から馬鹿にした態度を取って嘲笑い、幸せアピールする為もあって妻と笑い合う。ざっくばらんに言って卑劣な遣り口だ。奴らは本当に好きなことやりたいことをやれないでいるから精神がいじけているんだ。だからスポーツカーがかっこいいと思っても素直に気持ちを表さず敢えてそうするんだ。僕に言わせれば、お前らが幸せなものか、お前さん方には到底、僕の趣味を馬鹿にする資格はないのだ。況して僕は高尚に楽しんでいるのだ。そこら辺の事情を何も弁えない癖に失敬にも何してけつかるかってなもんじゃないか!嗚呼、しかし、助手席に天使のような彼女がいれば、それが何より一番好いことなんだがなあ…。それなら俗物に笑われても怒ることにはならないだろうに…そして嫉妬して怒っていると勘違いされることもないだろう。俗物は低い次元の観点に立ち浅はかだから事ある毎に僕のような高踏的な人間に対して当て推量してゲスの勘繰りをするんだ。僕がお前ら如き醜男醜女に、低品質の人間に嫉妬する訳ないだろう。第一僕はお前らを羨ましく思わないどころか軽蔑しているのであって僕はお前らのいじけた精神から生まれる卑劣さに悲憤慷慨するのだ。で、思うのだが、僕が日の目を見ず生き恥をさらす羽目になるのは畢竟するにこの世の大半を占める俗物がインテリジェンスもリテラシーも乏しく浅薄で無知蒙昧にして愚鈍な所為だと…。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加