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 目を覚ますと、もう明るかった。  寝過ごした、とあわてたが、ここは新聞販売店ではない。ほっと胸をなでおろす。長旅で疲れたせいだろう。  眼鏡をかけ、居間に行く。まばらな集まりで朝の食事が行われていた。  ルミの指示で席に着く。 「いただきます!」  大声で箸を取った。  新聞販売店では、朝飯はスピードが大事。素早く食べて、胃袋に流し込んで学校へ行く。  その調子で食べたから、皆はポカンと見守るばかり。 「ごちそうさま!」  大声で箸を置いた。まだ食事中の皆は、また驚いた。  自分の食器を台所に持って行き、さっさと洗う。少し気が落ち着いた。 「先生は?」  聞くと、ルミは音楽室の方を指差す。  耳をすませば、レコードの音楽が流れていた。  ドアの前で足を止めた。  耳をすませば、ちょうど曲が終わった。 「おはようございます!」  友恵は音楽室に入り、大声であいさつ。 「やあ、おはよう。朝の耳慣らしだよ」  門倉は新しいレコード盤をプレーヤーに置く。 「これはビバルディの『四季』だ。1番の『春』は鳥の声をモチーフに作られている」 「鳥の声・・・」  レコード盤に針が落ちる。バイオリンの合奏が響いた。 「これはスズメかな」  友恵の推測に、門倉はうなづく。  スズメと推測したメロディーの間に、別の鳥のメロディーが挟み込まれて、曲は進んでいく。  そして、曲が終わる。レコード盤は棚にもどされた。 「カラスの声が聞こえなかったような」 「ウイーンの森にカラスは居ないかもしれない。ベートーベンの交響曲『田園』の第1楽章も、鳥の声をモチーフにしている。明日の朝、聞かせてあげよう」  門倉は笑い、両手の指を動かす。 「さて、今度は朝の指慣らしだ。きみもノド慣らしをしなさい」  ピアノを開いて、前に座る。  人差し指を鍵盤に落とせば、ポーンと澄んだ音が部屋に響いた。  門倉は友恵に目をやり、また鍵盤に人差し指を落とす。  ポーンと音が出て、友恵は気づいて歩み寄った。  人差し指が鍵盤に落ちる。ポーンと音が出て、あー・・・友恵は合わせて声を発した。  ドレミのドの音と分かった。  ド・・・レ・・・ミ・・・ファ・・・ソ・・・ラ・・・シ・・・  1音に5秒ほど、ゆっくり進んだ。  と、また最初のドにもどる。高い音から、1オクターブ低いドの音へ。  さらに1オクターブ低いドの音へ。  また、さらに低いドの音へ。  友恵は背を丸め、腹に力を込めて声を発する。  門倉が鍵盤から手を上げた。 「はい、休もう」  ふう、と息をつく。腹が痛くなりかけた。 「きみが目指すのはテレビ歌手だ、ラジオ歌手ではない。ここは肝に銘じよう」  門倉が諭すように言う。 「ラジオ歌手は歌唱が全てだった。が、テレビでは・・・歌っている時の顔の表情、姿勢、立ち居振る舞い、全てが歌の一部だ。唇を突き出すような口の振る舞い、音によって背を丸めたりしてはいけない」 「は・・・はい」  友恵は口に手をやる。落ち着け唇、と押さえ込んだ。  東京オリンピックで家庭にテレビが普及した。日本の音楽市場は急拡大した。若者がテレビに見入り、自分と同年配の歌手を支持した。レコード購買層の年齢も下がっていった。  テレビでは、歌手は顔までクローズアップされる。ちょっとした仕草、微笑みまでが歌の要素だ。 「体幹をしっかり保とう。頭を揺らしてはいけない。口とマイクの位置関係が変わると、放送される声が変わってしまう」  友恵は眼鏡を直し、背筋を伸ばした。
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