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「ああ朝から、大っきな・・・こ声ねえ」  ルミが茶を煎れてきた。  小さな茶碗がある。お猪口のよう。 「口の中に含んで、茶の香が鼻まで達してから、3度くらいに分けて飲み込む。ノドを潤すのを心がけよう」  友恵はお猪口で茶をすする。新聞販売店では丼の茶を一気飲みしてたのに。 「ルミくんは・・・昔は、きみに負けない大声歌手だった」 「そうなんですか」  友恵が見れば、ルミは胸を張った。  男に勝る大声量、それが只野留美の売りだった。二十歳前と言うのに、男以上に酒もタバコもやる。酒でノドを焼いて、もっと渋い声を作る、とも豪語していた。上がり症を自覚していたので、舞台に出る前には必ず酒を一杯やっていた。やがて、どんどん強い酒を飲むようになっていた。  その日も、留美はブランデーを飲んでから舞台に出た。歌い終わり、舞台から下がると、全身から大粒の汗が噴き出た。舞台袖で待機していた門倉の手に倒れた。 「で・・・さ三ヶ月の入院・・・しゃべれないし、声も・・・まともに出なくなって・・・廃業」  ふう、ルミは苦笑いした。 「人は色んな理由で声が出なくなる。歌手なら、ノドの病気が一般的だが。胸の肺を病んでも、腹を病んでも、声は出なくなる。ルミくんの場合は頭だった。脳出血で、死ぬ寸前だった」 「脳!」  友恵は両手を頭にやる。  ルミは門倉のひざに乗る。 「で、でも・・・先生は、あたしを捨てなかった・・・家政婦に拾って・・・妾にして」  ふと、友恵は目をこらす。十数年前の母と門倉の姿を見た気がした。  門倉が天井を仰ぐ。 「ラジオ以前には、大声は歌手の条件でもあった。マイクと拡声器が出来て、レコードに録音される時代では、それは必須の要素ではない。大きな声を発する時、その力がすべて体の外に出る訳ではない。一部は体の中に残り、体を巡っている」 「体の中を!」  きっ、門倉は友恵を見た。 「大きな声で歌うのは、自分の頭を叩きながら歌うことでもあるんだ」 「自分の頭を叩く・・・」 「自分の大声に耳が負けて、難聴になった子も知っている。きみも気を付けなさい」  はい、友恵は小さくお辞儀した。  どかどか、玄関の方が騒がしい。 「お奥様・・・いいらっしゃいま、せ」  ルミが招き入れた門倉の妻、祐子である。戦車のような体で現れた。 「新しい子を入れたと聞いたので、見に来ましたよ」 「あ、あたしです。山内友恵です、よろしくお願いします」  あまりの迫力に、友恵の声も小さくなった。 「若いわね、いくつ?」 「13・・・です」 「孫も同然の年ね。まあ、徳川家康の側室にも、そんな年頃の子がいたかしら」 「とくがわ・・・いえやす?」  注:徳川家康の側室とは、現代で言うところの妾だ。最年少だったのは『お六の方』と呼ばれた娘。側室になったのは13歳の頃らしい。家康死去(享年75歳)の時には、まだ19歳(諸説あり)だった。側室になる前は、お勝の方に『部屋子』として仕えていて、面識があったと思われる。    ルミが祐子にすがりついた。 「お奥様あ・・・先生、ひどいです。ああ、あたしのこと、妾として・・・あつかって、くれません」 「女を泣かす男は許せないわ」  ぎろり、祐子の眼光に門倉は肩をすぼめる。 「毎日・・・先生の手が、たたたた、叩くのはピアノの鍵盤。めめ目線を、飛ばす先は・・・楽譜です。子作りなんか・・・まるで、作るのは曲ばかり・・・」 「まあ、あと十年若かったら、と思うけど。お、音楽が生業だし」  音楽室と違い、門倉の口はしどろもどろ。 「徳川家康は還暦過ぎても子を作ったはず」 「東照大権現と比べられても・・・」  注:徳川家康の最晩年の子は、60歳の時に十一男が生まれた。後の徳川頼房だ。  63歳の時、五女の市姫が生まれた。残念にも、3歳で死亡した。  どすどす、足音を響かせて祐子は去った。  はああ、門倉は大きく息をつく。 「わたしが音楽にうつつをぬかしていられるのも、祐子さんが財布をしっかりしていてくれるから、だし。そこは役割分担さ。ルミくんを妾として認めるのは、彼女が元歌手だから。音楽に関することなら、大抵は好きにさせてくれるよ」  疲れた笑いで語った。  あの奥さんと同居してたら、不幸が重くなり過ぎるかも。作曲できなくなりそう・・・友恵は納得した。
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