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5.
9月、2学期から、新しい中学に転校入学。新しい制服を着た。門倉の家から歩いて通う距離だ。
「山内友恵です」
友恵は大声であいさつした。
県が違うから、教科書も新しい物。2週間ほどで、隅から隅まで読破していた。読みながら、母が歌うように読んでくれた事を思い出していた。
読破と理解は別の問題・・・数学は読みながら悩んだ。
夕食の時、門倉が言った。
「来月、『スター誕生』の予選会があるので、出てみなさい」
「また、あれですか。でも、あれの出場は抽選で」
「わたしが推薦するので、抽選はパスできる。わたしがきみと出会ったのは、あの番組の予選だ。何をするにも、あれを通す義理はある」
わー、友恵は味噌汁を飲む。
前に出場した時は熊谷新聞販売店を代表してだった。今度は、門倉雄一の練習生として。
「歌いながら、体が揺れなくなった。顔や口も、微笑みが崩れなくなった。テレビ歌手の条件がそろってきた」
言われて、友恵は自分の顔に手をやる。言われるほど体や顔を動かしながら歌っていたのか、自覚は無かった。
「何を歌うんですか?」
「自分で撰びなさい。撰んだ曲に関して、指導はしない。きみが歌いたいように歌いなさい。当日、わたしは審査員にならない。他の人が、きみをどう評価するか。そこに興味もある」
「指導しない・・・審査しない・・・」
山の中に放り出された気分。
ふと、服が気になった。この前は、学校の制服で歌った。今度もか、とため息。
ルミが肩をたたいた。
「ああ、あたしの服を・・・貸して、あげる。ももう、着ない、と思ってた・・・けど、捨てないで、うっうん、良かった」
元歌手の衣装が着られる、ちょっと嬉しくなった。
ルミの部屋に行く。衣装ケースを開き、ハンガーに吊していく。
1着出すごとに、手を這わせ、きれいにシワを伸ばしていった。思い入れのある衣装ばかりなのだろう。
「と、友恵ちゃん・・・歌う時、お腹が・・・よくうごく。それが、め目立たないよう・・・なのを」
「お腹が?」
友恵は腹に手をやる。
大きな声を出すには、腹筋と横隔膜を使い、肺の空気を強く押し出す。腹が動くのは当然、と思っていた。これまでも、門倉のレッスンで注意された事は無かった。
「歌って・・・お腹がうごく・・・けげ、下品とされるわ。な、ので・・・歌手は、衣装とか・・・て手の振りとかで・・・お腹の動きを、か隠すの」
「お腹が動くと下品・・・」
ルミが声無しで歌うマネをする。腹の前で手を踊らせた。
脇を締め、ひじを脇腹に密着させると、腹の動きは目立たなくなる。歌手の手振り身振りは伊達でしてない、と知った。
1流歌手と2流歌手の差、とも思えば、元歌手の忠告に合点がいく。
「てて手の表情も、大事。しっかり・・・伸ばして、そろえて」
ルミは友恵の手を取り、指をそろえさせた。
「で、できない時は・・・かるくね、握って」
ルミはボクサーのような仕草をする。友恵もマネて拳を作った。
数日後、山内友恵宛に手紙が届いた。『スター誕生』予選大会への出場案内だ。
予選は午前8時半から始まる。合格者は11時放送開始のテレビに出演となる。
以前の案内と違う、と友恵は首をひねる。
「その予選会で合格するのは3人か4人。テレビに出演する合格者の半数以上は、他地区の予選会で合格している人たちだ。そうして、テレビ出演者の歌唱力を一定以上にしている。遠い地区の合格者は、当日になって主演できないこともある。当日の合格者で、テレビ出演者の人数を合わせる」
門倉が説明してくれた。
難しいテレビ放送の都合に、友恵は理解が追いつかない。とりあえず、へーえ、と応えた。
学校で、予選会への出場を話した。
「もう出るの!」
「練習生になって、まだ何ヶ月も過ぎてないのに」
「トモって、優秀なんだ」
クラスメートたちは驚くように言った。
「その日は応援に行くから!」
小さく肯いて返す。あまりに多くの応援が来ては、かえって緊張が過ぎてしまいそうだ。
どんな曲を歌う?
友恵は音楽室で悩んでいた。棚から楽譜とレコードを引っ張りだし、にらめっこ。
「やっぱり、リズムのある曲が良いな」
新聞を配達しながらでも歌える曲を探す。問題は・・・歌っていると、自然に体が動くこと。
「先生は体を揺らすな、顔を動かすな、と言うけど」
そっちにばかり気を使って、歌がおろそかになっては本末転倒だ。
ぶつぶつ言いながら探した。
門倉は作曲家だけあって、棚は作曲家別に整理されている。
「この辺、良いかな」
取り出したのはベンチャーズだ。ベンチャーズはアメリカのインストルメンタルバンド、エレキギターとドラムスで演奏する。日本では、ベンチャーズの曲に歌詞を付けて売る場合があった。代表曲は『二人の銀座』、同名の映画も作られた。
が、『二人の銀座』は男女のデュエットで歌う。友恵が探しているのは一人で歌える曲。
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