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 いよいよ、予選会の日が来た。  日曜日の早朝だが、会場は人があふれていた。  友恵はルミからもらった白いドレス、アクセントとして小さなペンダントを首から提げた。上にガウンを羽織る。受付で用紙を提出、番号札をもらってガウンの胸に貼る。 「また101番だ」  笑いながら出場者の控え室へ。  ルミが手を握って言う。 「何のため・・・歌うか。何のため・・・こ、この道を目指すか。よよ、よく考えて・・・ね」  意味深な言葉に、小さく肯く。  トイレに入り、鏡に向かった。  眼鏡の自分に問いかける。  何のために歌うのか・・・母のため。母の入院費を稼がなくてはならない。今は熊谷新聞販売店がたてかえてくれている。危篤の時、命を救ってくれた。入院費の倍額を返しても、恩に報いきれるだろうか・・・ 「出場者は並んで下さい。写真撮影をします」  この前は無かった事前行事、友恵は列の方へ行く。  友恵は眼鏡を取り、ガウンのポケットに入れた。眼鏡をした歌手は知らない、自分もそうあるべき、と思った。  パシャッ、ストロボが光った。    舞台裏のイスに座り、出番を待つ。  友恵は目を閉じて、響いてくる歌と演奏に耳を寄せていた。  曲の1番を歌ったところで、カーン、鐘が鳴って歌唱が終わる人がほとんど。2番まで歌う人は少ない。 「100番、待機して下さい」  係の人が次の出演者に支持をする。  友恵は立ち上がり、ガウンを脱いでイスにかける。その次は自分だ。  ぱちぱち、小さな拍手。99番が引き揚げてきた。  係が100番に舞台登場を促す。 「101番、待機して下さい」  友恵は舞台袖、カーテンの陰に立つ。  これはのど自慢ではない。新人歌手のオーディションだ。  カーテンから出て、舞台の端に立つところから審査は始まる。歩くところも歌の一部なのだ。  カーン、鐘が鳴った。  100番の子が引き揚げて来た。  係の人が入場を促す。  友恵は踏み出した。背筋を伸ばし、ゆっくり進む。  周囲がぼやけて見える、眼鏡を外したせい。横目でマイクを確認、足を止めて方向転換。  マイクから20センチのところに立った。  司会がマイクの角度を調整、友恵の口に合わせる。 「お名前と、曲名をお願いします」 「101番、山内友恵、『回転木馬』を歌います」  言って、小さくお辞儀した。  アコーデオンの伴奏が始まる。あの時の人、千堂と思い出した。千堂が帰りかけた友恵を見つけた。だから、門倉に出会えた。この人も恩人と思えた。 ♪あの時 ずっと寂しくて 一人 夜の街を歩いた  ベンチャーズの作曲だから、リズムが強い。膝でリズムをとれば、体が動きそうになるのを防げた。両手は脇を締めて真っ直ぐ下ろす、少し前側に。  鐘が鳴らない。  歌詞の2番に進んだ。  明るい舞台からは、思った以上に観客席が見えない。眼鏡を外したから、人の顔がわからない。同級生が来ていても、まるで分からない。  2番を歌いきって、伴奏が止まる。  友恵はマイクへ小さくお辞儀。伴奏の千堂に向かい、またお辞儀していた。  ここに来て良かった、息をついて思った。  ゆっくり歩き、カーテンの裏に着いた。終わった・・・肩を落として、深く息をする。  イスにかけていたガウンを羽織った。落ちたらかけよう、とポケットの中の眼鏡をにぎる。
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