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 歌手になる、芸能人になる・・・夢の舞台が近付いている。  友恵は布団の中で眠れずにいた。眠らずに夢の中にいた。  どきどき、胸の高鳴り・・・突然、下腹部に違和感を感じた。尿意でも便意でもない、もっと違う何か。  布団を出る。這うようにして、ドアから出る。暗い廊下を進み、ルミの部屋のドアをたたいた。  門倉はピアノの鍵盤に指を落とす。  朝の耳慣らし、指慣らし。  横に立つ友恵が声を発した。  ああ・・・・あ・・・  声が震える、伸びない。  門倉は指を止めた。手を鍵盤から離す。 「どうした、風邪でもひいたかい?」 「いえ・・・そうじゃありません」  友恵がうつむいて答えた。  ルミが茶と菓子を持って来た。 「せ、センセ・・・今夜は、せせ、赤飯ですよ」 「赤飯とは、何かのお祝いか?」 「おお、お祝い・・・うん、と友恵ちゃんが・・・お、女の子の、お祝い」 「女の子のお祝い?」  門倉は首を傾げるばかり。 「は、初めての・・・女の子の、です」 「初めて・・・で、赤飯。あれか!」  うーむ、門倉は友恵にソファーへ着席を促した。 「初めてなら、それも仕方ない。だが、プロの歌手になったら、その日でも声が変わってはいけない」 「はい、すみません」  門倉もソファーに腰をおろす。 「せっかくだし、今日は話しをしようか」 「は、はい」  友恵は肩を小さくして聞き入る。 「日本の芸能界は・・・テレビ、ラジオ、映画、歌謡などだが・・・女の場合、江戸時代の吉原遊郭からの伝統を引き継いでいる部分がある、良くも悪くも」 「良くも悪くも・・・」  ぽつぽつと門倉は語る。 「昔は、女性が家の外で仕事をするのに制約が多かった。女が吉原に入るルートの多くは、人買いが地方の貧乏な家を訪ね、見目の良い娘を買う。6歳から7歳の子が大半だ。娘を売った金で、貧乏な家は・・・その日の食べ物を得た」 「その日の食べ物を・・・」 「買われた娘は吉原に入ると、禿(かむろ)と呼ばれる見習いになり、芸事を身に着けていく。今のきみは、禿だ」 「わたしは禿・・・」 「女は15歳くらいまでに初潮が来る。そうしたら、禿から大人の扱いになり、芸妓として客の前で歌や踊りを披露するようになる。10年と言われる年季奉公の始まりだ。芸妓の中でも、特に歌舞音曲の芸に優れた者は花魁と呼ばれるスターになる。100人に1人、いるかどうかの子だ」 「花魁!」  友恵の目が輝いた。が、すぐ考え直す。 「花魁が100人に1人なら、他の99人は?」  むう、門倉は口をへの字にした。 「今も昔も、芸妓は稼げる商売ではないのだ。実入りも多いが、着物や小間物で出て行くものも多い。歌や踊りがうまい芸妓なら、吉原に通う旦那衆と関係を結び、支援が得られた。吉原住みの・・・妾だ」 「妾・・・」 「しかし、歌や踊りが・・・うまくない芸妓は旦那が持てない。そんな女たちが日銭を稼ぐには、格子戸の置屋に行き、芸ではなく体を売った。枕芸者と蔑む呼び方がある。10年の年季明けまで、吉原から出られない。他の道は閉ざされていた。吉原の女の大半が枕芸者だったらしいが」 「まくら・・・」  門倉は友恵の目を見る。 「きみは・・・今日明日の日銭を焦って、枕芸者になってはいけない。それは、お母さんが最も望まない道だ」  友恵は頷くが、きっと門倉を見返した。 「でも・・・でも、お母さんが病気で、どうしてもお金が必用だったら?」 「それは・・・とても難しい問題だ。自分ではなく、家庭の事情に髪を引かれ、足をすくわれて、消えていった子は多い・・・とても多い」  門倉の言葉は途切れた。
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