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1.
まだ、時代が昭和と呼ばれていた頃。
昭和の中頃、三十年代の半ば頃。とある街の片隅に、女の子が産まれた。
名は山内友恵、母は山内豊佳。父はいなかった。
山内豊佳は小料理屋の二階に住み込みで働いた。働きながら、娘を育てた。
階下から聞こえるラジオの音を耳にしながら、娘は眠った。
暖房の無い部屋で、母と娘は布団を一緒にかぶった。母は娘に多くの本を読み聞かせた。母の声と言葉は、娘の耳にはごちそうだった。
昭和は進み、四十年代になる。
友恵は小学生になった。教科書を母と一緒に読んだ。
♪あいうえお かきくけこ
母が本を読む声は全てが歌だ。
勉強が楽しかった。
時々、小料理屋の仕事を手伝う。正式の従業員ではないので、給料は無かったが、母と一緒にいるのが楽しかった。
そして、友恵は中学生になる。
教師から、店の手伝いをとがめられた。
母に説得されて、友恵は店に出なくなった。その分、懸命に勉強した。5月になる頃には、1年分の教科書を丸暗記するほど読み込んだ。
母が褒めてくれた。母の笑顔は最高の報酬だった。
薄暗い部屋での勉強がたたったのか、目を悪くした。眼鏡を作ってもらった。
ある日、学校から帰ると、また母が寝込んでいた。熱もあるし、顔色も悪い。店の仕事も休んでしまった。
「お医者様を、病院へ」
母に言うが、首を振るばかり。
理由は知っていた。お金が無いのだ。
中学の制服やカバン、眼鏡に大金を使ったばかり。大病だったら、入院しても・・・
小料理屋の店主は不機嫌だ。働けないのなら、二階からも出て行け、と言うほど。
友恵は街を歩いた。
と、新聞販売店の張り紙を見た。
『募集 新聞配達 中学生以上 住み込み可』
この時代、新聞販売店は奨学金制度まで作り、学生の配達員を集めていた。働きながら中学や高校に通う苦学生は珍しくなかった。
テレビが普及して、民放チャンネルも増えた。新聞のテレビ番組表への需要が高まった。テレビと新聞がつながって発展していた。
中学生以上・・・あたしにもできる!
友恵は販売店の玄関をくぐった。
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