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友恵は舞台を降りた。
会場の出口で店の皆が待っていた。
「落ちちゃった」
てへ、友恵は舌を出した。
「いい歌いっぷりだったぞ」
熊谷翔太は満面の笑みで手を取る。
「ああ、いたね」
伴奏していたアコーデオンの人が追って来た。
「いい歌だった。演奏のしがいがあったよ」
「ありがとうございます!」
大きな声で頭を下げ、礼を言った。
と、千堂は手を上げ、誰かを呼ぶ仕草。
やって来たのは頭髪に白い物が混じった年寄り、審査員席にいた人だ。
「門倉雄一です。今日は良かったよ」
還暦を過ぎれば、当時は老人の仲間入り。お爺さんから話しかけられた。
「あ、ありがとうございます・・・でも、落ちてしまって」
「うん、まだテレビに出る歌じゃない。と言うより、マイクを壊しかねない歌い方だし」
「すみません・・・」
友恵は肩を小さくした。
「でも、きみはすばらしい歌手になる可能性を持っている。ぜひ、きみを指導してみたい。どうだろう、しばらく私の家に来てみないか?」
「先生の家に!」
熊谷の方が驚いて声を出した。
「指導中は、わたしの家から学校に通ってね。学費や食費の心配はしなくて良いよ」
がくがく、熊谷は友恵の肩をつかんで揺らした。痛いほどだ。
「ぜひ、お願いします! と言いたいところですが、この子の親は入院中でして」
「病気ですか・・・」
門倉は眉を動かした。
タクシーで病院へ向かった。
病室前で、門倉はドア横の名札を見た。
友恵は病室に入り、母のベッドに行く。
「おかあさん」
そっと話しかける。
母は目を開き、小さく笑みを作った。
「今日はお客様が来てるの」
やあ、ベッド横に熊谷が行く。小さく手で挨拶。
「いつも・・・すみません」
母は小声で返す。
「もう一人、大事なお客様がいるの」
娘の言葉に、豊佳は気づく。
震える手で布団をめくり、起き上がる。とうとうベッド上で正座してしまった。
「門倉雄一です」
「や、山内・・・豊佳、です。友恵・・・の母・・・でこざい・・・ます」
共に頭を下げ合った。
えっ?
友恵は不思議なものを見ている気がした。映画の1シーンのような、別れた恋人どうしが何十年かぶりに再会して・・・そんな場面のよう。
「今日、友恵さんの歌を聞きました。すばらしい可能性を感じました。わたしの家に招き、指導したいと思います。よろしいでしょうか?」
「わ、わたしの・・・娘に、そんな・・・価値が?」
「あえて申し上げます。友恵さんの将来について、わたしは何も約束できません。すべては友恵さんしだいです」
門倉の言葉に、豊佳は小さく肯く。
「友恵さんを指導したいのは、わたしのワガママです。わたしの音楽を広げる可能性が、友恵さんの声の中にある・・・と感じたのです」
「わ、わたしの娘が・・・先生のお役に立てる・・・」
豊佳は両手をつき、また頭を下げる。
「どうぞ・・・いかようにも、お使い・・・ください。よ、よろしく・・・お願いします」
豊佳の声は途切れがち。
「では、友恵さんをおあずかりします」
門倉はゆっくり頭を下げた。
熊谷は両手で拳を作っていた。
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