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 列車は県の境を越える。  友恵には初めての長旅、ついでに初めての一人旅。カバンを抱えて、知らない人たちと席に座っていた。  国鉄から私鉄へ乗り換え。  ちょっぴり田舎な感じの駅に降り立つ。  駅のベンチで弁当のお握りを口に入れた。水筒の茶を飲んで、立ち上がる。  メモを片手に、駅員に道を聞いた。  坂を上がり、駅を見下ろす道を行く。  大きな木に囲まれた家がある。表札は『門倉雄一』だ。  生け垣の塀、門は無い。庭で女性が掃き掃除をしていた。母と同じくらいの年に見える。 「い・・・い、いらっしゃい」  女性のほうが友恵に気づいた。じっと見て、にっと笑う。 「あ、たなたね。あ、新しい練習生は」 「山内友恵です、よろしく」 「か、家政婦の・・・の、只野留美・・・ルミと呼んで。こう見えて、むむむ、昔は歌手してたんだ」  ルミの語りは、よく言葉がひっかかる。何かの病気だろうか。 「練習生は他にも?」 「す、住み込みは・・・あなた、だけ。ほ、他の子は・・・通い」  ルミに導かれ、家の中へ。  一番大きな部屋は音楽室。グランドピアノが置かれ、大きなスピーカーがレコードプレーヤーにつながっている。棚には本とレコード盤がびっしり。  チェロを弾く青年がいた。高木と言うらしい。 「良い楽器を買ったら、アパート代が無くなって、ここに転がり込んだ」  飯を抜いても音楽にのめり込む男らしい。  四畳半の部屋に3人で住む男たちもいた。リーダーは宇崎と言う。大きな楽器を持ち込み、残るわずかな隙間に体を曲げて寝ている。 「住み込みでやってたミュージックホールが倒産して、先生の世話になってる」  音楽バカの巣窟みたいな家だった。  夕刻近く、門倉が自転車で帰って来た。  遠くない所に映画会社の撮影所があり、そこで打ち合わせだったらしい。  夕食、家の者たちが食卓に集合した。 「山内友恵です、よろしくお願いします」  大声でお辞儀した。 「お椀がひっくり返るかと思った・・・」 「天井、大丈夫かなあ・・・」  皆があきれた。  門倉だけは笑っている。 「この子はジュディ・ガーランドみたいなんだよ」 「じゅ・・・で?」 「ジュディ・ガーランド、アメリカのミュージカル映画のスターだ。小さな体で、声は撮影所で一番大きい、と言われたそうだ。後でレコードを聴かせてあげよう」  食事が始まり、友恵は食卓に人が足りないと感じた。 「先生、あの・・・奥様とかは?」 「ただ今、別居中です」 「べっきょ?」  給仕をしていた家政婦のルミが、ぴょんと門倉のひざに腰掛けた。 「で、ああたしが・・・か、家政婦で、ついでに妾、ね」 「めかけ!」  友恵は箸が止まった。 「わたしの場合、幸福感は創作のジャマになるんだ。妻と別居することで少々の不幸を感じ、ルミくんを妾にするひとで少々の罪悪感を胸にして、音楽の創作をしているのさ」 「そーさく・・・」  友恵はご飯をおかわりした。居候で遠慮がちな男たちより多く食べた。
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