パライソ

2/3
前へ
/33ページ
次へ
セルリアンブルーの美しくも人工的に作られた海の箱。  もとい水族館は、今日も営業している。  6月の朝である今は、割と館内は空いている。    この場所で彼らの浮き上がる息遣いや光る透明な鱗が翻る瞬間を見るている。  三島 茉莉花にとっては唯一心休まる時間だ。    砂を噛むように退屈一辺倒な自分の世界。  それが、ここでは心がカラフルに踊り出すように感じる。  今、自分は生きているのだと、そう思う事ができるからだ。  この建物は2階建てになっていて、上下を抜くような巨大な水槽の前にいる。    カシャカシャカシャという高速の連続音が後ろから聞こえた。  どこか尖った金属のような音だ。  この静謐な空間をまるで裂いていく。  どうやらカメラのシャッターを切る音のようだ。  ワンテンポ遅れ、そう認識した。  背後からの違和感と視線を感じる。  注視するように水槽越しに後ろを伺う。  硝子越しに、自分を携帯のカメラで撮っている男と目が合う。  その瞬間、思わず体全体に鳥肌が立った。  毛穴がキュっとしまり、心臓がドクンドクンとなりだす。    嫌悪感と共に、その撮った写真をどうするのかをこの男に聞きたい。  けれど、私の本能が彼と直接話すのは危険だと訴えている。  ゆっくりとした動きで、男が自分に近づいてくる。  野生動物に狙われたかのような気分になる。    しかし、シャッター音という、彼の牙は今や私に襲い掛かっているのだ。  尚も、音と動作は止まらない。  シャッター音と長身のこの男の威圧感と影が迫りくる。  距離と角度を変え撮影しながらも、躊躇いもなく私に話しかてくる。 「そのまま、水槽を見つめていて欲しい」  そう男から低めの声が滑らかに発せられる。    この男に自分を撮ることを止めるように注意するか、急いでこの場を離れるべきか迷う。  しかし、なぜだか体が動かない。  もう写真は撮られているのだから、このままその使用法を聞きたい。  その方が得策だろう。  私はこの男に疑問を持ちながらも、言われるままに水を透通すガラスをみつめる事にする。  魚を目で追う事で、微かな動揺をやり過ごす事にする。  茉莉花の白く小さな顔に、薄い水色の光が反射している。  少し潤んだかのような瞳の中に光が宿っている。  睫毛が少し長く、猫目の印象を与える。  黒髪と白い肌が相まって妙に生々しく引き立って見える。     「あなたは誰ですか? その写真をどうするつもりですか?」  そうゆっくりと尋ねる。  男はカメラの角度を変えながら、にべもなく応えてくる。 「俺は、ただ綺麗な物を集めている。この写真はコレクションにするんだ」  私は後ろを振り向きたいが、顔が写真の中で正面に収まるのを避けたい。 「コレクションにするとはどういうことですか?  あなたは変態なの? それとも芸術家? 」  更に、男の注文が加わる。 「少しうついて、視線で魚を追ってくれ」  そう促されるまま、魚を見つめてゆく。   「俺は汚れのない綺麗な女を愛でる変態じゃない。  あんたの今にも魚の世界に飛び込みそうな、その焦がれた顔を撮りたいんだ」  私の中では、彼は盗撮癖のある人なのかもしれないという答えが出た。  頭の中は危険信号が点滅しているが、彼に対して好奇心が出てきた。   茉莉花は深呼吸して一息おくと、続ける。 「へー、あなたはそういう人の欲望が丸出しの顔を集めるような変態なの?」  それを聞きながら、男は喉を鳴らし笑いだす。 「そう。生々しい生を撮りたいね」  「それを出来たら形にして見つめるんだ。それは、あんたが水の世界を渇望するのとにている」  この男に興味がわいた。  水槽越しに男と見つめ合う。  遠慮がちにという感じではない。  互いに目が離せない。  世界が小さく迫りくるかのように。  この世界には、私とこの男と、海のパライソと、それを記録するカメラしかもはや存在しない。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加