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「不幸な事故だったわね。ハンドル操作を誤って海に落ちちゃうなんて」 彼女は目元をハンカチで押さえた。鼻をすする音が陰鬱(いんうつ)にアトリエに響いた。 喪服姿の画商は、マネージャーの葬儀の帰り道にぼくを訪ねて来た。 「彼はあなたのことを気にかけていたわ。才能ある若い画家として、親友の息子として」 描きかけのキャンパスとぼくを交互に見遣ると、彼女の表情は曇った。 そのキャンパスは、マネージャーに色使いを指摘されたものだ。明るい色を使えと言われたが、暗い色を何色も重ねた。冬場の曇天のような深い色使いは、父のそれだった。 彼女は言葉を押し出すようにして、ぼくをうかがい見た。 「これを機に言うけれど、あなたは本当に若草幽玄としてこのまま描き続けるつもり?」 「……え?」 想像だにしない言葉に、思わず声が漏れた。 「もう、お父さまの言いつけを守らなくてもいいのよ。普通の親は自分の子供にそんなことを強いたりしない。笑うことを忘れるほどお父さまのために筆を握らなくてもいいの」 もはや彼女が何を言っているのか理解が出来なかった。 「自分の名前で好きな絵を描けばいいし、いっそ描くことを辞めたっていい。ほかにやりたいことがあるのなら、好きなことをしていいんだよ」 「書くのをやめる?」 その一言は胸を貫くような衝撃だった。 反射的に一歩踏み出す。 ぼくは相手の肩を両手で掴んだ。彼女が「痛い」と顔を歪めても構わない。 「どうして。どうして、そんなことを言うんですか……?」 投げ込まれた言葉は胸のなかに陰々と響き渡る。 その響きは虚しく、ぼくはあることに気が付いてしまった。 筆を置いてキャンパスに背を向けた自分には、何も残らない。
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