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ある日、家から出て駅の構内に入ったときだった。
「失礼ですが、伊達さんですかな? 国立病院脳外科で看護師をしておられる」
振り返った先にいたのは見覚えのない初老の男性だった。無精髭くらい綺麗にすればいいのにと思うほど身なりに気を使わない様子に嫌気がする。
「……以前に入院されていた方でしたか?」
星の数ほどやってくる患者の顔なぞいちいち覚えてなんぞいられない。
いかし男は「いや患者じゃない」と言いながらポケットから『週刊醜聞』の名前が記された名刺を出してきた。
思わず、顔が強張る。
「先月、某大物国会議員がオタクの病院で心臓手術を受けている。……ご存知でしょう?」
馴れ馴れしく笑う、悪い歯並び。
「個人情報です」
こういう手合いを相手にする時間はない。
「私は何も知りませんし、知っていたとしても何も答えられません」
男を無視して改札へと歩き出す。
「じゃあ適当に書いておいていいですか?」
スキャンダル専門として有名な雑誌だ。本当にそれくらいはするだろう。
「事実無根なら法的手段をとる可能性もある、と理解されているのなら」
だが男はその脅しにケラケラと笑った。
「そんな案件は山程抱えてんだよ、こっちは。いちいち裁判を怖がってたらスクープは書けねぇんだわ」
ジロリと睨み返すと、男はそっと寄ってきて小声で耳打ちをしてきた。
「その『大物議員』の心臓病はかなり進行していたんだってな。余命宣告出てたって。ところが突然『退院の目処が立った』と。これはもう移植以外にありえないよな」
あの『Bマイナスでも可』の患者か? そういう想像はつくが、それ以上は私自身も預かり知らぬことだ。何の証拠とてない。
「いやー偶然って恐ろしいよなあ。入院してすぐに『ちょうどいい心臓』が見つかるなんて」
明らかな嫌味。匂わせる違法な臓器移植の影。
「あなた、失礼ですよ。それに私にそんな話をされても……」
「あんた、移植コーディネータの補佐をしているって? さぞかし『いいお給料』なんだろうね。何しろ売れっ子ホストを家で飼ってるほどにさ」
何と、いつの間にそんなところまで取材が進んでいたとは!
「事実無根かい、それは?」
確信めいたドス黒い嗤い。
「言いたいのはそれだけですか? では失礼します」
もうこれ以上相手をする気もなかったが。
「『真の悪魔』がいるんだろ? あんたに指示をだしている」
いきなり突かれる核心部分に足が止まる。
「取引したい。ソイツが誰なのか突き止めてくれたら、あんたの記事は書かないと約束してやるよ」
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