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白衣に着替えて職場に入ると同時に私は『伊達さん』モードに切り替わる。にこにこと笑顔を絶やさず、先輩の顔を立て、後輩の面倒とフォローに入る『いい人』なのだ。堕天使としての顔なぞ、微塵も出すことはない。
それは、深夜の2時半頃だった。
「すいません、伊達先輩」
後輩の一人がおずおずとやってくる。
「どうしたの?」
「809号室からナースコールが」
後輩の声が怯えているのは、そこが『空室』だからだ。しかしこの巨大病院で空室からナースコールが鳴るなんて珍しいことではない。ベテラン看護師なら誰だって経験している。そう、多すぎて慣れてしまうほどには。
「了解。そういうのは任せといて。ちょっと部屋の換気に行ってくるから」
後輩の背中をぽんと叩いて809号室へと向かう。途中で胸のポケットからペンを取り出してくるりと回す。こういう手の仕事は『悪魔の出番』だから。だが、それはそうとして。
「80……9号室?」
部屋の前に立って、ふと思い出したことがある。この間の『Bマイナスでも可』の中年女性が入室していたのが、この809号室だったのだ。
思えばそこから後、この部屋に患者は入っていないはず。だとすれば。
「はぁ……面倒くさ」
大袈裟にため息をつきながら809号と書かれた部屋のドアを開ける。
……やはりか。
大きめなベッドのシーツ上に、ぼんやりとした白い影。間違いあるまい。ここまでハッキリ視えることは珍しい。普段はあっても気配を感じるぐらいなのに。よほど何か言いたいことでもあるというのか。
「私に文句タレられても困るんだよね。この病院に入るには生体臓器移植に無条件合意するのが条件なんだし」
もう死んだ相手に猫を被る必要もない。
「どうせ余命は残り3ヶ月だったでしょ? あんたは『運が悪かった』。そんだけのこと。別に恨みがあったわけじゃなし。だから文句を言いたい、恨みを言いたいってんなら『真の悪魔』を探しなよ。……私は正体を知らないけどね」
「……」
相手は『うらめしや』とも言わなかった。ただそれを聞いて黙ったまま、ふ……っと姿を消した。
「何も言うことが無いんなら、最初から呼ぶんじゃないよ。これでも暇な身じゃないんだ」
そう悪態を吐いて、私は809号室を後にする。そこから先、809号からナースコールが入ることはなかった。
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