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警察官が『あのトラックは居眠り運転だったようだ』と言い残していった。運がなかったと。
『運が悪かった』か。私もあの中年女性の幽霊にもそう言ってのけた。その言葉がまるで上空に投げたかのように自分目掛けて降り注いだのだ。
いや、それは違うだろう。この馬鹿な堕天使に『神罰』が降りたのだ。愚かにも悪魔を気取って人の命を軽んじた罰が。
だが何も利斗を連れて行かなくたって。彼が何をしたというのか。悪いのは、全て私なのに。
手術室外の長椅子に力なく座り込む私の前に、翌檜先生が血だらけになった術衣のままにやってきた。
「君は」
言いにくそうな重い口調。
「彼が肝臓ガンで最短なら余命3ヶ月だったことを知っていたかい?」
「ええ?!」
思わず顔を上げる。無断の血液検査ではガンまで調べられなかったのだ。
「さっき『現物』を見た。一見してステージ2にも視えるが、彼ほど若いと驚くほど進行が早いんだ」
……もしも私が『それ』を知っていたならば、『堕天使リリス』は間違いなく『最高の臓器』を探しただろう。それこそカルテを書き換えてでも。間違いなく私情に墜ちていた。
奇しくも彼の『急逝』が、悪魔の崖から転落するのを防いでくれた。
「それと、もう『Lucifer』から君に指令が行くことはない」
「え?!」
聞き返す私を置き去りにして、翌檜先生は廊下の彼方へと去って行った。
それから数日して。
私は例の週刊醜聞の記者を喫茶店へと呼び出した。もう、どうでもいいと思ったのだ。
「あんたから連絡がくるとはね」
意外そうな顔だったが。とにかく今は全てをブチ撒けたい気分だった。
「実は……」
「『創作話』なら、小説投稿サイトにでも書くんだな。ウチは商業誌、売れない記事に用はねぇ」
「……どういうことです?」
この間とは180度違う態度に戸惑う。
「あの巨大国立病院はな、国際的な非人道的臓器売買を防ぐ目的で設立されたんだ。政治的外圧が掛かったらしい。発起人は、例の某大物議員だ」
確かに、難しい移植で何億という大金とともに海外へ飛ぶ患者には『そういう』影もありうる。
「で、その『某大物議員』だがな。近隣国がやらかしている紛争の件で、同盟国との間で表沙汰にできないような交渉をしていたらしい」
記者はかなり深くまで切り込んでいたようだ。
「そいつがいないと、この国はかなりヤバい立場になってたってよ。だから、例の心臓の件はこの国の命運を担っていたんだ。がしかし」
ふん! と記者が鼻を鳴らした。
「立場上、海外移植なんざできねぇ」
そのために、国内の移植に緊急の活路を見出す必要があった。この国を守るために。
「『上』からこれ以上この件に首を突っ込むなと釘を刺されたよ。『死ぬぞ』ってな。俺はまだ死にたくない」
そう言って、記者の男はレシート片手にレジへと向かった。
誰もいない家への帰り道、何処からともなく呟くような声がした。
『人様の役に立ったんだろ? だったらそれで文句はないよ』と。
驚いて辺りを見渡すが、近くには誰もいなかった。ならば、今の声は。
雑踏をかき消す静寂。私はそっと目を閉じた。
もしかして『翌檜先生』が『主』に反旗を翻したのは、命に軽重を見出すことへの反抗だったのかも。何だか、そんな考えが頭に浮かんだ。
生き残った私にできる贖罪は何なのだろうか。
いや、多分そうじゃない。私にできるのは、血まみれになってでも戦うことだけ。それで一人でも多くの命が助かってくれると信じて。
それがこの哀れな神の下僕が縋り付く、たったひとつの正義なのだから。
完
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