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真夜中の屋上に、風を切る爆音が近づいてくる。『H』と大書されたマーク目掛けて降下する白地に赤色の斜線はドクターヘリの証。その翼の突風は何度味わっても気が滅入る。
何しろそれは……。
「よし、行くぞ」
当直の翌檜先生が緑色の術衣を抑えながらハッチの開いたヘリへと向かう。
私は「はい」と短く答えて後に続く。
そして左手に持っているペンをくるりと回した。これは『儀式』。私が『優しい看護師の伊達梨里湊』から『冷酷な堕天使のリリス』へ変身するスイッチ。
案の定、ヘリから降ろされたのは『ストレッチャー』や『担架』ではなく黄色いテント地の袋だった。……まあ、ここの病院では珍しくもない。
「事前に連絡した通りです」
降りてきた医師が翌檜先生に書類のサインを求めている。
その先では救急隊員がこちらの用意したストレッチャーへ無造作に黄色い袋を置いていく。
「一番大きい袋が胴体と、手足。ただし右手は粉砕されていたので諦めました。あっちの袋は回収できた限りの臓器類。そして」
ひとつだけ小さな袋がある。中身はスイカでも入ってそうな。
「あれが頭部です」
左折するトラックに巻き込まれたデリバリーバイクの運転手だったそうだ。
「保冷は?」
翌檜先生は表情ひとつ変えることはない。私もそうだ。何せ慣れているから。ここはそういう病院なのだ。
「いつも通り、指定された通りに保ってます」
もはや社会復帰なぞ見込めないこの人にとって、それだけが『唯一の存在意義』。
「急ぐぞ、マッチング候補はでているな?」
「事前情報からすでにリストアップが完了しています」
「そうか。選別は第三手術室でする。各医局に連絡を」
「承知しました」
事務的な遣り取りをして、端末で関係部局へ一斉送信。ここからは時間との勝負。なるべく新鮮なうちに、この貴重な臓器提供者を『活用』しなければ。
「心臓、Aマイナス!」
「左腎臓、Aプラス、右はD!」
「角膜、二つともA!」
各局から緊急招集された専門医が担当の『部位』を確認していく。そして『使える』と判断したら急いで自局の手術室へ持ち帰るのだ。
そして明朝目掛けて一斉に移植手術が始まる。何しろこの辺境地にある超巨大病院には、そうした移植待ちの患者が日本中から集められて待機しているのだから。
「さ……持ち場に戻るか」
一渡り手続きを済ませてから着替えと消毒をし、左手に持ったペンをもう一度くるりと回す。
病棟で休んでいる患者さんのために『優しい白衣の天使』に戻らないとね。
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