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第三話
ホテルを出て、男の車に乗る。
中央線N駅までの二十分足らず、沙都子はこの時間がいつも辛かった。
男との会話の糸口がみつからない。頭の中であれこれ考えるが、こんな話をしたらつまらない女だと思われないかと、不安が先に立ってしまう。
男のことは、フジタという名と電話番号しか知らない。
聞きたいことは、いくつもあるが、余計な詮索をしてもう二度と連絡が来なくなったらどうしよう——そんな思いもあった。
男も口数が少ない。
それでも天気の話やゴルフのスコアの話などをポツリポツリしてくれると、やっと沙都子は気詰まりから助けられた。
N駅で降ろされて、男の車を降りると沙都子は開放感を味わったが、去っていく車を見送りながら気持ちが沈んでいく。
結婚する前、付き合った男は何人かいるが、こんなにも不器用で切ない思いは初めてだった。
自宅のあるM駅に着くと、沙都子は急ぎ足で駐輪場に向かった。
三度、自転車のカゴにいやらしい新聞を入れられてから、駐輪場を変えた。よく利用するスーパーからは遠くなったが、何事もなく三週間経った。
一時はゆかりから紹介された客が近所にいて脅されるのではと怯えたり、美香が嫌がらせをしてきたのではと腹が立ったりした。
だがこうして平穏な日々が過ぎていくうちに、全て自分の思い過ごしだったと思えてきた。
あれは今年、一月半ばのこと。
『お客様にお見せする写真を冬服から薄着のものに変えたい』
そうゆかりから言われて、沙都子は客についた後、春用のワンピースを持って店の事務所に行った。
『忙しいのに、ごめんね』
ゆかりはそう謝ると、このあと一人面接に来るのよと困った顔をした。
『長くこの商売をやってるとね、どんな子なのか電話の受け答えだけで分かっちゃうの——風俗の仕事、長くやってそうな感じだったわ』
沙都子ちゃんみたいな子ばかりだと助かるんだけどと言われて、気をよくしながら、ゆかりに言われるままのポーズをとった。
撮影が終わり化粧室で着替えていると、玄関のチャイムが聞こえた。
ゆかりの応対する声から面接者が来たのが分かった。
いったいどんな女なのか、沙都子は興味がわいた。
ドアを細く開けて外を覗くと、大きな背中が見えた。体にぴったりした黒い服に下着の線がはっきりと浮いている。
沙都子が見つめていると、突然女が振り返った。小狡そうな小さな目に睨まれて、沙都子は慌ててドアを閉めた。
——駐輪場で美香の背中を見た時、あの女を思い出した。同じ人物なのかと疑ったが、それも自分の勘違いだったのだろう……。
沙都子の家は同じような形の建売が並ぶ住宅街の一画にある。
新築で家を購入したのは三年前だ。落ち着いたレンガ調の外壁のこの家に沙都子は満足していた。適度な距離を保ちながら付き合ってくれる近所の住人も有り難い。
向かいの主婦が玄関先を掃いていた。
自転車を下りた沙都子は、一言挨拶をして自宅の駐輪スペースに自転車を停める。
身をかがめて鉢植えのパンジーの、枯れた花を摘みながら腕時計を見た。
陽斗のお迎えまで少し余裕がある。紅茶を一杯飲む時間がありそうだ。
時計から目を離して顔を上げた時、玄関のドアノブにビニール袋が下げられているのに気づいた。
沙都子がついさっき行ったスーパーの袋だ。
何の気なしにその袋を開けて、中を見た途端、沙都子は声をあげそうになった。
風俗情報誌の切り抜きが一枚入っていた。
下着姿の女たちが顔を手で隠し、口元に笑みを浮かべた写真の中に、顔はぼかしているが、春物のワンピースを着た沙都子の写真があった。
きれいな足ねとゆかりに褒められて、つい腿のあたりまで裾をたくし上げた時の写真だ。
勝手に写真を使われた怒りと、それ以上の恐怖で足が震えた。
いったい誰がこんなことをするのか——。
沙都子は身体がすくみ、その場に立ち尽くした。
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