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「壱くん」
洗い物をしていると、いつのまにか背後に聖花さんが立っていた。その手には新品のペットボトルの水がある。
「水、なくなっちゃった」
「マジっすか。買っておきます」
そう言えば、米も買わないと。
頭の中で買うものリストを作りながらスポンジに洗剤を足す。その横で聖花さんは食後の薬を飲んでいる。どういう薬なのかは本人に聞いたことはない。だけど、前にゴミ袋を結ぶ時に空のアルミシートが目に入り、あまり良くないことだとは思いながらも薬名を検索したら精神安定剤だった。
不意に聖花さんがすうっと俺の隣に移動して手元を覗き込んでくる。聖花さんは今まで俺が懇意にしてきた女の子と比べると背が高い。166センチだと言っていた。それでも俺より10センチほど低いけれど。
「卵割る時さ、中からひよこ出てきたらどうしようって怖くならない?」
三角コーナーにある卵の殻を見て聖花さんが言う。偶にこういうトンチキなことを口にするのだけど、当の本人は至って真剣だ。でも、思わず笑ってしまう。
「そんなの思ったことないですね」
「なんで?割るまで分からないじゃん」
「スーパーとかに並んでるのはみんな無精卵なんで」
「ムセイラン?」
「受精してない卵のことです」
「へー」
聖花さんは世間知らずというか、普通なら知っている一般常識なるものが少し欠けている。だから、2つ年上だけど、時折小さな子どもを相手にしているような気持ちになる。
もしかして、聖花さんって本当に天使なのでは。そう仮定すれば、生活能力が皆無なのも極度の偏食家なのも世間知らずすぎるのも全てに納得がいく。下界の環境に馴染めず、弱っている天使。
なんておかしな空想をしている間に隣にいた聖花さんの姿は消えていて、存在を確認するように振り向くと、いつもの定位置であるソファの上にいた。
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