わたしの運命の一冊は教えちゃいけない

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「今日はあいにくの天気ですが、この日を迎えられることを、大変うれしく思います!」 たくさんの報道陣。今日という日を心待ちにしてくれたであろうゲストたち。 わたしはその前でマイクを握る。 やっとだ、やっと、この日を迎えられた。胸に込み上げてくるものがある。 恐らく、この場にいる全員が興奮していることだろう。でも、一番興奮しているのは間違いなくこのわたしだ。 長年の夢だった、テーマパークをオープンすることができるのだからッ! マイクを思い切り握りしめる。そして、群衆に向かって叫んだ。 「さあ、一緒に始まりのページをめくりましょうッ!」 わたしはひとしきりパークを見た後で、施設の一つの中でインタビューを受けることになっていた。 多くのゲストたちの心からの笑顔。そして、仲間であるキャストたちの笑顔を見ながら、万感の思いを抱きながら移動する。 本当にうれしい。心の底からうれしい。 わたしは秘書に案内され、指定の部屋の中に入る。そこには既にインタビュアーである女性アナウンサーが待っていた。わたしの入室と同時に立ち上がった。 「本日は、よろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 女性アナウンサーが頭を下げる。わたしも同じように頭を下げてから、座るよう促す。早くインタビューを始めたかった。そして、早く終えたかった。パークを見て歩きたいから! 「早速、始めさせていただきます」 それを合図にして、撮影が始まった。 「本日オープンとなりました新たなテーマパークですが、各エリア、本が重要なアイテムとなっています。例えば、魔法の書のエリアですが、ある日魔法の書が開かれたことで、魔法が解き放たれた結果、魔法に満ち溢れた世界となった、という物語になっています。本を主役に据えたのはどうしてなのでしょうか?」 「わたし一人のアイデアではないことは、先にお断りしておきます。たくさんの仲間たちがアイデアを出し合った結果です。しかし、本をこのテーマパークの主役に選んだことには、意味があります」 わたしは目を閉じた。そして、わたしの始まりの日のことを思い出す。 「わたしは、小学生から中学生にかけてずっといじめに合っていました。物が盗まれたり、罵詈雑言を浴びせられたり、暴力を振るわれたことだってあります。これは様々なインタビューの中でも話していることです。そのいじめの中で、わたしは自死する決心をしていました」 わたしの始まりの日は、わたしが自死を決心し、実行しようとした日だ。 あの日のことが、昨日のことのように思い出される。 夕暮れの図書館。そこがわたしの始まりの地だ。 「その日、わたしは学校の屋上から飛び降りるつもりでした。ですが、その前にたまたま図書館に向かったのです。ただの時間つぶしのためです。全校生徒がいなくなるまでの、ただの時間つぶし。でも、これがわたしの運命を大きく変えたんです」 しんと静まり返ったあの日の図書館。本を読んでいる図書委員しかいない、森閑とした空間。わたしはそこで、死ぬ前の時間つぶしのために、一冊の本を何気なく手に取った。 「そこで一冊の本に出会ったのです。わたしはその本を、一気に読んでしまいました。面白かった。心が死んだわたしに、新しい心をくれたのが、その本だったんです」 その本は、わたしに新しい生き方を示してくれた。わたしは学校という小さな世界で生きていた。だけど、その小さな世界が全てで、それ以外の世界が見えていなかった。 その本は、わたしにそのことを教えてくれた。わたしのいる世界は、数多ある世界の一つに過ぎないのだと。だから、そこに留まり続ける必要はないと。その世界に居づらいのなら、他の世界に行けばいいだけなのだと。 「わたしは本を読み終えた後、死ぬことをやめました。わたしはこの世界では生きられない。だけど、他の世界だったら、生きていけるのではないか。そう思ったからです。わたしは別に死にたいわけじゃなかった、ということに、そこで初めて気が付いたのです」 「ただ、その世界にいたくなかった、ということでしょうか」 「おっしゃる通りです。わたしはいじめに遭っていたその世界にいたくなかっただけなのです。そして、そこからわたしの運命は大きく変わりました。学校には行かず、自分の信じる世界を生き、今に至ることになったのです」 もちろん、ここにたどり着くまでは一筋縄ではいかなかった。何度も心は折れ、何度も挫折し、何度も軌道修正を図った。 でも、わたしはやり遂げた! わたしの世界を駆け抜けた! 「もしよろしければ、その運命の一冊を教えていただけないでしょうか」 インタビュアーが聞く。当然の質問だ。けれど、わたしは笑みを浮かべながらも、首を横に振った。 「教えられません」 え、とインタビュアーが声を漏らした。意外な答えだったからだろう。でも、教えるわけにはいかない。 「やはり、大切な一冊だから、自分だけの心に残しておきたい、ということなのでしょうか?」 インタビュアーがそう思うのも無理はない。でも、意地悪をして答えないのではない。 わたしは、わたしの運命を変えた一冊の名前を、絶対に答えてはいけなかった。 「そうではありません」 「それなら、どうして教えていただけないのでしょうか?」 きちんと説明した方がいいだろう。そうしないと、ずっとこの質問が続いてしまうだろうから。 居住まいを正してから、わたしは理由を口にする。 「その本、つまらないんです」 インタビュアーが、また、え、と声を漏らす。 「だから、本のタイトルを言えないんです。ほら、一応、立場のあるわたしですから。そのわたしがこんなことを言ってしまったら、作者さんや出版社さんに御迷惑をおかけしてしまいます」 「運命の一冊なんですよね?」 「ええ、それに違いはありません。当時のわたしの心にはとても響きました。あの本がなければ、今はきっとありませんでした」 図書館で初めて触れた一冊は、間違いなくわたしの命を救った。それだけでなく、新たな世界の道標となってくれた。 でも、残念ながら、それとこれとは別の話だ。 「しかし、まあ、つまらないんです」 苦笑するしかない。 わたしの運命を変えた一冊は、言ってしまえば駄作だった。インターネットのレビューを見ても、星二つだし、コメントを見ても、褒められている箇所なんて皆無だった。酷評しか書かれていない。 実際、何回か読み直したのだが、なんでこの本がわたしの心を打ったのか、まるでわからなかった。最後まで読み切るのに苦痛を感じる程だった。 それでも、わたしはこの本のおかげで救われたことは事実だ。だが、そのタイトルを公表するわけにはいかない。色んなところに迷惑がかかってしまうから。 「だけど」 わたしはインタビュアーに大切なことを伝えるために、言葉を続ける。 「人生が変わるきっかけなんて、そんなもんだと思うんです」 インタビュアーがはっとした。 「くだらなくて、他の人にとってはどうでもいいことかもしれない。なにそれ、っていう笑われるような出来事かもしれない。だけど、それが運命を変えるきっかけになるかもしれないんです」 わたしはインタビュアーに笑いかける。 「わたしにとっては、それが本だった。今、読んだらつまらない本ですよ。でも、わたしの運命を変えたことは事実なんです」 わたしはカバンの中に今も持ち歩いている本を思う。この本があったから、わたしは今日という日を迎えられた。だから、ありがとう、って伝えたい。 わたしと出会ってくれて、わたしを生かしてくれて、ありがとうって。 「そろそろ行ってもいいでしょうか?」 インタビュアーに断りを入れてから、わたしは部屋を後にした。 わたしはまたパークの中を巡る。そして願う。 テーマパークはたくさんのものが詰まっている。アトラクション、ショー、パレードはもちろんのこと、ダンサーやキャスト、フードに飾り、設備や建物などなど。その中のどれでもいいから、誰かの心に響けばいいと。 「誰かの人生が変わるきっかけになったら、いいな」 それが、わたしがこのテーマパークを作った意味だから。 ~FIN~
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