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翌朝。
携帯のアラームで目を覚ました俺は、布団から出るなり冷たい空気に小さく肩を竦めた。
ベッドを下りると、今更のように下着しかつけていない自分の格好に遠い目になる。
おまけに昨夜の記憶まで鮮明に蘇り、俺は溜息を吐きながらそっと肩越しに背後を振り返った。
「…まさか、こんなことになるなんてな……」
視線の先には、未だ深い眠りの中にいるらしい夕貴の姿がある。
その寝顔はまるで子供のようにあどけなく、警戒心の欠片も窺えない。どころか、酷く満ち足りているような表情にも見える。
…が、単に自分がそう願っているだけの可能性も否定はできず、そんな自分にうっかり落ち込みそうになる。
果たして俺は、そんなキャラだっただろうかと、真剣に悩みそうになって――。
「まぁ、いいか……」
どうせもう、無かったことにはできないんだし、それならここは認めるしかないのかもしれない。
俺は僅かに出ていた彼の肩へと、掛け布団を静かに引き上げ、朝の仕度に取り掛かった。
久々に直に感じた人肌はとても心地良く、心底手放し難いと思ったのも事実だ。
だけど、もちろんそれは誰でも良かったわけでなく、彼だからこそのことだとも思う。
(……じゃなきゃ、俺が男を相手になんて…)
台所で目玉焼きを作りながら、人知れず空笑いに口端が歪む。
そう、そもそも俺は、これまで男に手を出したことはなかったし、出そうと思ったこともなかったのだ。もちろん、流されたことも。
なのに昨夜の自分は、案外知らないことでもないみたいな手付きで彼に触れて……。
――チン。
「…!」
と、不意にトースターの音が小さく響いて、俺は思わずはっとする。
見ればフライパンの上の目玉焼きもすっかり狐色になっていて、うっかり深みにはまりかけていた自分に漸く気付く。
もう考えても仕方がないと割り切ったつもりでいたのに、こんな時、自分が教師であることを少しばかり呪いたくなる。
柄でもないが、そのおかげでどうも背徳感が増すような気がして…。
「パン焼けたなら、俺バター塗るよ」
しかも、いつの間に目を覚ましたのか、今度は夕貴の元気な声が飛んできて、俺の心臓はこれ以上ないくらいに大きく跳ねた。
(…いったい、いつ起きたんだ)
ぱたぱたと台所にやってきた彼は既に着替えも済ませていて、俺が返事をする前に、トースターから取り出した食パンを皿に重ねると、片手間に冷蔵庫も開けている。
勝手知ったる様子でバターとジャムをその手に掴み、傍らの食器乾燥機の中から器用にバターナイフも引き抜いて、硬直した俺には気付かないまま、こたつの元へと戻っていく。
「京介さんは苺ジャムたっぷりだったよなー」
「あ、あぁ」
俺は言葉もなく立ち尽くしていたが、再度かけられた声にはさすがに慌てて頷いた。
思い出したように弱火にしていた火を消して、用意していた皿へと、些か焼きすぎてしまった目玉焼きを移す。
「いただきまーす」
一方の皿を差し出すと、待ってましたとばかりに顔の前で手を合わせ、彼は心底楽しそうにお世辞にも豪華とは言えない朝食を食べ始めた。
コップに牛乳を注いでやると、それだけのことすら随分嬉しそうで、見ているこっちが照れくさく思えてくる。
まったく、こうも簡単に切り替えられては、悩んでいる自分がばかみたいじゃないか。
「京介さん」
「…なんだよ」
「俺、またここ来ていい…よな?」
無意識に漏れていた溜息は当然自分に対するものだったが、それに気付いた彼が、今更焦ったように身を乗り出してきた。
その眼差しは、さっきまでの明るさが嘘みたいに不安げに揺れていて、俺は一瞬絶句したのち、思わず噴き出しそうになってしまった。
「…な、何? 俺なんか変なこと言った?」
「いや、…お前が殊勝なこと言うと気持ち悪いなと思っただけだ」
結局、込み上げた笑みを堪えきれず、俺は視線を伏せて小さく笑った。
出勤時刻は俺の方が早かったが、彼が泊まりに来たときは、施錠の問題もあっていつも一緒に家を出ていた。
とある交差点まで来ると、やはり普段通りにあっさり別れはしたものの、その背後で佇んだままの彼の気配が余りに名残惜しそうで、今日ばかりは思わず俺も足を止めてしまう。
溜息混じりに振り返ると、彼はびくっと背筋を伸ばし、少しばかりぎこちない笑顔でひらひらと手を振った。
全く…どれだけ俺が好きなんだ。
俺はそんな彼の様子に僅かに目を細め、徐にジャケットの合わせに手を入れた。
「――ほら」
そして何の前ふりもなく、内ポケットから取り出したものを彼に放る。
「っわ、え…っ」
朝陽を受けてきらりと光ったそれを、辛うじてその手に受け止めて、次の瞬間、彼は花が咲いたかのように明るく瞳を輝かせた。
「ありがとう、京介さん!」
彼がそう叫ぶ前に、俺は踵を返していたが、その表情など見なくてもはっきりわかった。
俺が彼に渡したのは、俺の部屋の合鍵だった。
<HAPPY END>
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