7人が本棚に入れています
本棚に追加
「時の流れは古い六法がまだ現役時代に遡る」
まだ若く裁判でも優秀な弁護士がいた。
それまで所属していた事務所から独立して個人事務所を開いたばかり。多少の顧客を抱え細かい依頼にも応えている。
その弁護士の元にちょっと面倒そうな依頼が舞い込んだ。
「学生同士の喧嘩くらいで弁護士を呼ぶなってんだ」
少しグチりながらもまだ稼ぎは多くないので断れない仕事だと警察署に弁護士は出向いた。
今回の依頼人は被害者のほう。学校の帰り道でいざこざになって急にカバンでボコボコにされたのだという。ケガはひどく前歯は折れて打撲も数か所。
「これは。訴えたくもなりますね」
被害者の男子高校生を見た弁護士はあまりの現状に呟いてしまっていた。
「どうかね。相手の状況によってはこっちも黙ってられないのだが」
依頼人は被害者の親で、地元の名士でもある。存分に仲良くしていたい上客だ。
「そうですね。話を聞いてみないと、ですが。慎重に参りましょう」
あくまでその弁護士は訴えを起こすとは言わない。でも、それは依頼人に沿った意向でもある。
少々怒り気味の依頼人をなだめてから、弁護士は加害者に話を聞くために取調室に向かう。
猛獣でも飼っているみたいな気迫が漂っている。
しかし、その場所にいたのは少し目つきは鋭いが、可憐とも言える年齢の女の子だった。
「えっと、加害者さんは?」
「あたしです」
弁護士は高校生同士の喧嘩以上の詳細な人柄を聞いてなかったので戸惑っていたが、女の子は怖気る様子もなく堂々と手を挙げていた。
弁護士としての身分があるので警察官には席を外してもらいその女の子と二人で話すことになる。
「あのー。本当に彼にあんなケガをさせたのは君なの?」
ちょっと信じられない部分があるのでそれを確かめるためにも聞いてみようと弁護士は質問を繰り出す。
「その通りですよ。社会のクズなんでトコトンまで成敗しました。彼のケガの責任は全部あたしにあります」
「これはまたハッキリと言うね。理解がはやそうな子だから言うと、僕の意向から言うと君が反省していると言うことなら今回のことは喧嘩両成敗にならないかと思うんだけど」
明らかにそんな程度で済ませる話ではない。そのくらいに被害者のケガはひどい。しかし、そんなところにも理由はある。
「あいつの父親、市会議員だからおっさんみたいな人がいるんでしょ」
弁護士の依頼人は地元の建設会社社長で少し前に市会議員になったばかりの人物。当然弁護士が雇われている理由はそんなところ。
しかし、目の前の女の子はあっけらかんとして、自分の罪なんて気にしてない印象。
「君。反省しなさいよ」
「必要ある?」
少し彼女は笑っていた。
「では、君の言い分を聞かせてもらえないか? 彼だって殴られた理由くらいあるんだろ?」
普通の弁護士としての話し合いじゃ彼女には通用しない気がしたので、取り敢えず話を聞くことにする。
「まあ、そうだね。おっさんは信用できそうだから教えよう。彼はいじめっ子なの」
若干楽しそうに彼女は話し始める。
「いじめったって子供のアレとは違うよ。社会問題になっているほう。あいつクラスの弱っちいやつに目を付けて殴る蹴るは当然に、下僕のように扱ってたんだ」
いつの時代だっていじめ問題は存在して度々社会を騒がせている。
「なるほどね。だから君はか弱い子を守るために正義の鉄槌を落としたって訳だ」
弁護士が納得したみたいに軽い呆れと一緒に答えてあの悪者じみている依頼者たちを思い返してみると間違いではないと簡単に腑に落ちてた。
「別に。いじめられっ子からは一度救けてって言われたけど、無視った」
「それは、また。優しくないねー」
なんだか弁護士も彼女と話しているのが楽しくなっていた。
「だって、親とか先生を使えば簡単だし。暴力もあるんだから警察だって味方になってくれるでしょ。あたしがどーにかする必要ないじゃん」
確かに言い分は通る。だけどそれができないのがいじめられっ子って言うところだろう。しかも相手は市議の息子だ。
「じゃあ、どうして今回は彼を殴ったのかな? それこそ正義からじゃないのか?」
徐々に弁護士は単なる事情を聞くだけとは違った方向に進んでいるのがわかっているが、これはあくまで自分なりの考えがあるから。
「いや、それはさー」
女の子はそれまでと違ってちょっと言葉を選んでいる。
弁護士はどうしたんだろうと首を捻るが次の彼女の言葉を待つ。
「腹立ったんだよね。今日も学校が終わったらいじめられっ子が捕まって殴られてたんだよ。しかも普段からあいつは市議の息子って鼻にかけてたから、気に入らないやつだったし」
「つまりは、いじめられてた子の為じゃなく、自分の気分が良くなかったから殴ったの?」
「そう! 今日はカバンが重くてチャンスだと思ったんだー!」
この彼女の言葉には弁護士は呆れてしまった。少しは正義の為にか弱い女の子が戦ったのだと信じたかった部分もあるから。
「じゃあ、この犯行は思い付きだったの?」
「んー。どうだろう? 元々気に食わん奴だったからなー」
どうやら被害者の評判は彼女としてはとても低いみたいだ。
さてどうしよう。弁護士が考えたときに開かれている部屋のドアがノックされる。
そこにはさっき席を離れた警察官と気の弱そうな彼女たちと同年代の男の子がいた。弁護士はいじめられっ子の登場か、と直ぐに理解していた。
「彼女は悪くないんです。僕がいじめられていて、今日は特に暴力が酷かったから」
男の子は一度女の子を見ると、震える言葉で言う。それは今回の被害者でいじめっ子の彼が怖いのに勇気を出していたからだろう。
「なんて話してるけど?」
「だから、違うって。全部あたしの気分によるんだから。お前もおかしなところでつっかかんなよ。だからいじめられるんだ」
女の子がいじめられっ子をちょっと怒るみたいに話している。
それを見ていた弁護士は椅子に背を預けて「そう言うことか」と独り言ちていた。
一応いじめられっ子の彼も事情を警察に聞かれるために離れると。「さてと」なんて弁護士は目の前の女の子を見つめる。
「僕は弁護士だ。全ての真実を知っておきたい。嘘はもう辞めないか?」
一瞬キョトンとした彼女。だけどそれはあくまで一瞬のことだった。
直ぐに怖いような顔になると「ふーん」と言う。
「君はこうなるとわかって殴ったよね? 市議会議員の息子のいじめっ子を殴る。それも結構なケガになると、警察の出番があると思った。だから殴ったんじゃないのか?」
淡々と弁護士は話すけど、そこに彼女を追い詰めるような言い方はない。諭しているみたいだ。
「おっさんの頼みだから嘘は辞めるわ。そう。問題にしたかった。そうすればあのバカを成敗できる」
「見事、いじめも解決だ」
「それは本当に関係ない」
弁護士の言葉に彼女は即答で答えるけど、それまで視線を合わせていたのは右上に外れている。
「まあ、そこは構わないさ。それでどうだろう? 僕としては今回は問題にしたくないんだ。君が反省していると言えば、依頼人にはその意図を伝えて告訴はしないように勧めるんだが」
「反省してません。逮捕でもなんでも受けます!」
彼女の答えは即答だった。
「言うと思った」
少し項垂れてしまう弁護士の向かい側では彼女がにこやかに笑っている。
彼女は今回の問題を明らかにして、いじめのことまでも公にしたいのだ。そりゃあ市議会議員の父親も困るだろう。息子のほうもこれまでのことを深く反省することになる。
だけど、弁護士の立場上それは良くない。なので弁護士はカバンから一冊の本を取り出した。
「賢そうなんだし、これから君はこれを武器にしなさい」
そう言い差し出したのは少し小さめではあるがページ数も重さも他の本とは別格な六法全書だった。
「うーん。流石にこんなので殴ったら死なないかな?」
渡された彼女は重さを確かめるようにしてから六法全書を振りかぶってみる。
「鈍器にするんじゃなくて法律を勉強して弁護士になりなさい。君の話術や考えは十分に闘える」
「あたしが弁護士?」
驚いて声を上げてしまっている彼女。しかし、次の瞬間には真剣な顔になっている。
「勉強はキライかな? 弁護士までの道のりは難しい。僕だって苦労したんだから」
「学ぶことは好きだよ。知識は人を豊かにする。因みに学校の成績は一番だよ」
「なら、申し分ないんじゃないか? 君にも向いている職業だと思うんだが」
弁護士は真剣な瞳で彼女を見つめる。
彼女は不敵に笑った。
「悪くないじゃない」
「じゃあ、逮捕歴があると駄目だから今回は僕の言うとおりにしなさい」
「なんかうまく誘導された気がする。この六法も要らないもんだったりするの?」
不貞腐れた顔になった彼女は六法全書を持ち上げて弁護士を眺める。
「いや、まあ、その。古くはなってるけど、そういう意味じゃない」
彼女はそれで笑ってしまってそれからは明るく二人は語らっていた。
最初のコメントを投稿しよう!