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『本書をお手に取って頂き、誠にありがとうございます。「呪いの書」というタイトルからもお分かりになりますように、本書は任意の相手を呪うことが出来る大変危険な代物となっております。本書に関わった者は皆、例外なく不幸に見舞われますので、お取り扱いにはくれぐれもご注意ください。引き返すなら今の内ですよ?』
「物騒なことで」
大学生の幸雄は、古書店で「呪いの書」なるタイトルの本を手に取っていた。マットな質感の漆黒のカバーと、血にも似たおどろおどろしい赤色で表現されたタイトルはインパクト抜群だ。まだ序盤の注意書きに目を通しただけが、幸雄は興味本位でさらに読み進めてみることにした。
『注意書きを読んでなお、本書を読み進めるお覚悟があるということは、それだけ憎らしい相手がいるということなのでしょう。例えば同じ大学に通う小紋氏。あるいは、以前バイト先で一緒だった鬼瓦氏』
「……どういうことだよ」
驚きのあまり、幸雄はページを進める手をピタリと止めてしまった。
小紋、鬼瓦の二名は、確かに幸雄の知人だ。呪ってやりたいと思ってしまうような、強い憎しみも抱いている。そんな二人の名前が、どうしてたまたま古書店で手に取った本に記されている? 二人とも珍しい苗字だし、幸雄との関係性までもがしっかりと明記されている。偶然とは思えない。
さながら幸雄の専用書。本そのものが語り掛けてきているようで、背筋に悪寒が走る。
『本書は、手に取った方に応じて自動的に文面が変更される仕様となっております。少なくともこれで、本書に特別な力が宿っていることはご理解頂けたでしょう?』
「驚いたな」
不安は途端に好奇心へと変わる。これが本物の呪いの書なら、是非ともその効果を試してみたい。
幸雄の顔に、嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「さてと、肝心の呪う方法は」
幸雄は胸を高鳴らせながらページを進める。
「白紙?」
そこから先は、どういうわけか白紙のページが続いていた。
肩透かしを食らった気分だったが、念のため最後までページを進めてみる。
『申し訳ありませんが、呪いの方法は、この本の正式な所有者にしかお教えすることが出来ません。現在の所有権は、本書を販売している古書店にございます』
「……詐欺じゃないだろうな」
つまり本気で呪いたいのなら、古書店からこの本を購入しろということになる。実は全て店側が仕組んだことなのではと、幸雄は疑心に駆られるが、この店はたまたま立ち寄っただけで訪れるのはこれが初めて。小紋や鬼瓦の名前を出して、店側が幸雄をピンポイントで狙うとは考えにくい。
『呪いますか? 呪いませんか?』
文章は、そう締めくくられていた。
やるかやらないのかの二択。
そう捉えるべきなのだろうが、見方によっては、呪うという選択を二つ目の言葉で促しているようにも思える。
本の価格は二万五千円。大きな出費だが、本当に相手を呪うことが出来るなら安すぎるくらいだろう。幸雄は迷うことなく、「呪いの書」を手にレジへと向かった。
「お客さん。運がいいですね。この本は先日買い取ったばかりで、今朝棚に並んだものなんですよ」
「そうなんですか」
リップサービスの可能性もあるが、本当だとしたら運命めいたものを感じずにはいられなかった。
「お買い上げ、ありがとうございます」
会計してくれた店主らしき白髪の男性は、どことなく薄気味悪い笑みを浮かべ、幸雄の背中を見送った。
※※※
古書店で「呪いの書」を購入してから三日。
幸雄の所有物となった「呪いの書」は、早速その効果を発揮していた。
「幸雄くん。今朝のニュース見た?」
構内のカフェテラスで、幸雄の恋人である瀬奈が神妙な面持ちで幸雄に声をかけてきた。
「ニュースは見ないで出てきたけど、何かあったの?」
「隣町で交通事故があったんだけど、亡くなった運転手が、私達も知っている人で」
「誰?」
「ほら、前にバイト先で一緒だった鬼瓦さん」
「へえ、あの人死んだんだ」
平静を装いつつ、幸雄は心の中でガッツポーズをしていた。
呪いの効果は本物だった。まさか命まで奪えるとは思っていなかったが、死んだと聞いて心がスッキリしたのも事実だ。
鬼瓦は、半年前まで幸雄と瀬奈がバイトしていたカフェで同僚だった男だ。
当時、鬼瓦は瀬奈に気があったようで、その恋人である幸雄のことが気に食わなかったらしい。何かにつけて幸雄に嫌がらせを行い、挙句には店の金を使い込み、疑惑を幸雄に被せるという暴挙に出た。濡れ衣ではあったが、職場にいづらくなり、幸雄は瀬奈と一緒に店を辞めた。それからしばらくして、使い込みは鬼瓦の犯行だと発覚し、彼は職場をクビになったそうだが、結局その後、一度も幸雄へ謝罪に訪れることはなかった。
一度でも、形だけでも、鬼瓦から謝罪の言葉があれば、幸雄だって呪うだなんて極端な行為には走らなかったかもしれない。
幸雄は表面上は穏やかな印象だが、内面には一度受けた屈辱を絶対に忘れない執念深さを宿している。
幸雄は自身の逆鱗に触れた人間を絶対に許さない。ましてや今の幸雄には、強力な武器が備わっているのだから。
呪いの効果は証明された。もう、この凶器を使うことに迷いはない。
呪ってやりたい人間はもう一人残っている。
「……幸雄くん。笑ってるの?」
「ごめん。何でもないんだ」
ついつい零れてしまった笑顔を、幸雄は必死に誤魔化した。いかに憎い相手とはいえ、人が死んだ話題で笑うような、良識の無い人間だと瀬奈には思われたくなかった。
「それよりも、最近、小紋の様子は?」
「……うん。昨日も家の近くをうろついてたみたい」
「あいつ。性懲りもなく」
幸雄は怒りをあらわに顔を顰めた。
小紋は同じ大学に通う一学年上の先輩で、瀬奈の元カレにあたる男だ。
付き合い始めた頃はとても優しい人だったというが、次第に自分本位なで粗暴な本性が明らかになっていき、関係は破綻。半年前に交際は解消された、はずだった。
一カ月前ほど前から、小紋が瀬奈の自宅周辺やアルバイト先へと姿を現すようになった。深夜に路上から瀬奈の部屋を見上げていたり、思いの丈を綴った大量のラブレターを郵便受けに無造作に突っ込んだり。行動はどんどんエスカレートしてきている。
別れた当初は小紋も大人しくしていたのだが、瀬奈に対する想いは消えず、時間を経るにつれその想いは、歪んだ執着へと変貌してしまった。今の小紋は立派なストーカーだ。
「……早く終わってくれないかな」
不安気に呟く瀬奈の手を、幸雄は優しく握る。
「大丈夫だよ。きっと近いうちに、全て丸く収まる」
幸雄には「呪いの書」がある。家に戻ったら早速、小紋のことを呪い殺してやろう。恋人を守るという正義感と同時に、合法的に人を殺せるという優越感を幸雄は感じていた。
※※※
「瀬奈、遅いな」
幸雄はカフェテラスでスマホをいじりながら、瀬奈が来るのを待っていた。
今日は二人ともバイトが休みなので、講義が終わったら一緒に買い物へ行こうと約束していた。本当は直ぐにでも自宅に戻って小紋のことを呪ってやりたかったのだが、瀬奈と過ごす時間はそれ以上に大切なので、こちらを優先していた。
「騒がしいな」
突然、構内が慌ただしくなった。
悲鳴のような声も混じっており、ただ事ではない気配だ。
「幸雄!」
「ど、どうした?」
幸雄の友人が、血相を変えてカフェテラスに飛び込んできた。普段は冷静な友人の動揺ぶりに、幸雄は大きな不安を感じる。
「瀬奈ちゃんが刺された……」
「えっ?」
言葉の意味を飲み込めぬまま、幸雄の頬を汗が伝う。
「とにかく来い!」
「あ、ああ」
友人に導かれ、幸雄が大学のエントランスへ駆け込むと、
「瀬奈……」
幸雄の目に飛び込んできたのは、真っ赤な血の色。
エントランスの中心に出来た血だまりには、二人の人間が倒れている。
一人は幸雄の恋人である瀬奈。もう一人は、瀬奈にストーカー行為をしていた小紋。瀬奈の体には腹部を中心に数か所の刺し傷があり、サバイバルナイフを握った小紋は、首がばっさりと裂けた状態で事切れていた。
状況は、ストーカーだった小紋が瀬奈との無理心中を図ったことを物語っている。
「……いた……い……」
「瀬奈!」
瀬奈にはまだ微かに息があった。幸雄は血に濡れることも顧みず、瀬奈へと駆け寄りその体を抱きかかえる。
「瀬奈、しっかりするんだ!」
遅かった。呪い殺すよりも先に、小紋が凶行に走ってしまった。
こんなことになるなら、鬼瓦同様にさっさと呪うべきだったと、幸雄は激しく後悔する。
「……どう……して……呪った……のに……」
「えっ?」
幸雄は耳を疑った。何も知らないはずの瀬奈が、どうして「呪ったのに」などという言葉を口にした? それではまるで――
「……関わら……なかっ……たら……」
「瀬奈、まさか」
「……ゆき……お……く……」
瀬奈の呼吸が止まり、腕が力なく投げ出された。
「瀬奈! 瀬奈! 瀬奈!」
最愛の人は呼びかけには応えてくれなかった。
耳に届いた救急車のサイレンは、あまりにも遠い。
※※※
「答えろ! 『呪いの書』を売りに来たのはこの子か?」
「顧客の情報を教えるわけには」
「いいから答えろ!」
「ひいっ!」
瀬奈の死から三日。
憔悴した幸雄は「呪いの書」を購入した古書店を訪れ、瀬奈の写真を手に、白髪の店主へと詰め寄っていた。
「た、確かに、あの本の前の持ち主はその子だ。正確には売りに来たんじゃなくて、返品しに来たんだがね」
「どういう意味だ?」
「あの本は元々うちで取り扱っていた商品なんだ。それを一週間前にその写真の子が購入していったんだが、薄気味悪いから返品したいって、あんたが購入する二日前にここに来たんだ。代金もいらないから、とにかく引き取ってほしいって」
「その時、その子は何か言っていたか?」
「不幸とか訪れないですよね? って、そう言っていたよ」
「瀬奈も使ったのか……」
『本書に関わった者は皆、例外なく不幸に見舞われますので、お取り扱いにはくれぐれもご注意ください――』
幸雄は「呪いの書」の注意書きの一節を思い出していた。
瀬奈が「呪いの書」の前の持ち主であることは確定した。瀬奈が呪ってやりたいと願った相手は、陰湿なストーカー行為を働いていた小紋以外に考えられない。呪いによって小紋は死亡した。他ならぬ、瀬奈と無理心中を図るという形で。きっとそれ自体が、瀬奈の身に降りかかった不幸。
「その写真の子、どうかしたのかい?」
「死んだよ」
「……やっぱりか」
「やっぱり?」
呟きを聞き洩らさず、幸雄は鋭い眼光で店主を睨み付ける。
「まさかあんた、『呪いの書」が本物だと知っていて客に売りつけていたのか?」
「こっちだって商売だからね。回転率のいいあの本は、良い商品だったよ」
開き直っただろうか。それまで口籠っていた店主の発言は堂々たるものだった。
「呪いの書」にはそれを欲する者を引きつける、ある種の魔力のような物がある。一度手にしてしまえば、その魅力に抗うことは出来ない。
使ってみたい。憎いあいつを呪ってやりたい。
呪いなんてあるはずがない。だから試しに使ってみても大丈夫だろう。
皮肉なことに、最後に背中を押すのはそういった常識的な考え方だ。
そうして「呪いの書」を手にした人間の大半は、呪いを実行に移してしまう。
だけどふと冷静になった時、「呪いの書」の使用者は例の注意書きを思い出す。不幸とは何だ? もしかしたら、自分まで呪われてしまうのではないか?
呪った相手が不幸に見舞われ、本の効果を実感したことで、強い恐怖を感じた者もいただろう。本の効果を実感しないまま、呪いなんて非科学的な方法に頼った自身を嫌悪し、本を手放す決断をした者もいただろう。小紋を呪った瀬奈はこのケースだった。
仮にも「呪いの書」などと呼ばれる物を、無造作にゴミとして処分するのは気が引ける。だからといって、寺や神社へ持ち込むのは大袈裟な気がする。
その結果「呪いの書」の所有者は、購入元であるこの古書店へと本を返却する。サイクルには多少バラつきがあるが、たいていは一週間以内に、元通りこの古書店へと戻って来る。そうやって戻って来た「呪いの書」を、店主は再び商品として陳列し、新たな客へと売りつける。それがまた返却される。また売りつける。それを繰り返す。
不幸に見舞われた以前の所有者達は。二度とこの古書店を訪れることはない。故に、店主の行為に気がつく者もこれまでには存在しなかった。
高額な商品ということもあり、この仕組みは店主にとって、まさに打ち出の小槌であった。
「呪いの書を買ったのはあんたで六人目だ。まったく、こんな本が売れるなんて世も末だよ」
「ふざけるな! 本の効果を知っていて売りつけるなんて、あんたが殺したようなもんじゃないか!」
「心外だな。私は本を売っているだけ。買う買わないは自己責任だろう? ちゃんと注意書だって書いてあるんだから」
「あんたのせいで瀬奈は!」
「瀬奈って誰だい?」
嘲るような店主の態度に、幸雄の中で何かが切れた。
「ふざけるな! 瀬奈を返せ!」
激昂した幸雄の振るった拳が顔面を直撃し、店主の体が吹き飛ばされる。
「殺す!」
「まっ――」
幸雄は近くにあったレジを持ち上げ、力任せに店主の頭へと振り下ろす。鈍い打撃音とともに、紙幣と鮮血が宙を舞った。
※※※
数時間後。
幸雄は古書店の店主を殺害した容疑で逮捕された。
取り調べに対して幸雄は、ひたすら「呪い」や「不幸」といった言葉を繰り返しているという。
『本書に関わった者は皆、例外なく不幸に見舞われますので、お取り扱いにはくれぐれもご注意ください』
小紋を呪った瀬奈は、小紋自身の死に巻き込まれた。
本を金儲けに利用していた古書店の店主は、激昂した幸雄に金の入ったレジで撲殺された。
鬼瓦を呪った幸雄は恋人を喪い、さらには殺人犯として逮捕される結末を迎えた。
呪う、呪わないは関係ない。本に関わってしまった時点でアウトだ。
本を購入した者も、本を販売した者も、呪いをかけられた者も、関わった者は例外なく不幸になってしまう。
これこそまさに「呪いの書」だ。
幸雄と店主の諍いの原因となった「呪いの書」は、証拠品として警察に押収されたが、幸雄が起訴されて間もなく、署員の不手際により紛失してしまった。
紛失の二日後。幸雄の事件を担当した刑事が別の事件を捜査中、ナイフを持った被疑者と揉み合いになり殉職。
その一週間後には、別の署員が自宅で首つり自殺を図り死亡した。この署員は、証拠品を管理する立場にあった人間である。
二件の死に、呪いが関係しているかどうかは定かではない。
警察署での紛失以降、「呪いの書」の足取りは不明だ。
もしかしたら、今日もどこかで……。
了
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