葉尊 2

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 思わず、ガタガタ震え出す寸前だった…  が、  震え出さんかった…  なぜなら、葉尊が、私を射すくめるような目で、見たのは、一瞬…  ほんの一瞬だからだ…  だから、震え出さんかった…  私を射すくめるような目で見たのは、ほんの一瞬…  ほんの一瞬だけだった…  すぐに、いつものように、  「…お姉さん…目が覚めましたか?…」  と、優しく、私に語りかけた…  いつもの葉尊の態度で、私に語りかけたのだ…  そして、それを、見ると、不思議なことに、気付いた…  似ている…  実に、似ているのだ…  この葉尊の私に対する態度が、あの葉敬と似ているのだ…  これは、これまで、考えたことのない、ことだった…  いや、  父子だから、似ていても、なにも、おかしくない…  なにしろ、血が繋がった実の父子だから、おかしくもなんともない…  だが、これで、わかったことがあった…  もしかしたら、葉敬は、自分と似ているから、葉尊が、好きではなかったのかも、しれないと、気付いたのだ…  磁石のNとN、SとSでは、反発するのと、同じ…  同じような性格では、案外反発することが、多い…  だからかも、しれない…  葉敬が、葉尊を嫌うのは、そのせいかも、しれない…  私は、思った…  思ったのだ…  そして、そんなことを、思いながら、葉尊の元に、近付いた…  さっきは、一瞬だが、睨むように、私を見たので、怖かったが、今では、もう、怖くなかった…  なぜなら、そんな睨むような眼で、私を見たのは、さっきだけだったからだ…  だから、安心して、葉尊のそばに、行った…  私が、近くに、来ると、  「…お姉さん…父は、どうでした? 元気だったですか?…」  と、葉尊が、聞いた…  直球で、聞いた…  私は、さして、考えることなく、  「…元気だったさ…」  と、答えた…  その方が、都合が、いいからだ…  都合が、いいと、思ったからだ…  すると、  「…父は、お姉さんが、大好きだから、きっと、喜んだと思います…」  と、葉尊が、穏やかに告げた…  次いで、  「…ボクとは、違う…」  と、自虐的に、言った…  私は、それを聞いて、  …やっぱり…  と、内心思ったが、  「…そんなことは、ないさ…」  と、葉尊に言った…  心の中で、思ったことと、違うことを、言った…  わざと、違うことを、言ったのだ…  すると、葉尊が、苦笑いを浮かべながら、  「…お姉さんは、優しいですね…」  と、笑った…  笑ったのだ…  「…優しい? …私が?…」  考えても、みんことだった…  この矢田トモコ…  他人様から、いまだかつて、優しいと、言われたことは、ない…  一度もない…  だから、驚いた…  驚いたのだ…  私が、驚いていると、  「…お姉さん…そんなところに、立っていないで、座ったら、どうですか?…」  と、葉尊が、私に声をかけた…  当たり前だった…  私は、  「…わかったさ…」  と、言って、椅子に座った…  ダイニングテーブルの椅子に座った…  それから、おずおずと、遠慮がちに、  「…今日、なにか、嫌なことでも、あったのか?…」  と、聞いた…  聞かずには、いれんかった…  「…嫌なこと?…」  「…そうさ…」  「…お姉さん…どうして、そう思うんですか?…」  「…だって、オマエ、今、酒を飲んでるだろ?…」  「…お姉さん…ボクだって、29歳の大人です…酒ぐらい飲みますよ…」  「…それは、そうだが、なんとなく…」  私は、言ったが、後は、言わんかった…  後は、口にすることは、ためらわれたのだ…  が、  すぐに、葉尊が、  「…なんとなく、なんですか?…」  と、聞いた…  当たり前だった…  だから、私は、仕方なく、  「…なんとなく、オマエが、落ち込んでいるような気がしてな…」  と、言った…  葉尊の顔色を見ながら、言った…  葉尊の反応を窺いながら、言った…  すると、  「…まあ、たしかに、そんなことは、あります…否定しません…」  と、葉尊が、言う…  私の夫が、言う…  「…原因はなんだ? …いや、話したくないなら、話さんでも、いい…誰でも、ひとに話したくないことは、あるものさ…」  私が、言うと、驚いた様子で、私を見た…  直視した…  それから、数秒置いて、  「…そうですね…」  と、答えた…  ゆっくりと、答えた…  それから、  「…お姉さんが、ひとから、好かれるのは、つくづく、よくわかります…」  と、続けた…  「…なんだと?…」  「…お姉さんは、あったかいんですよ…体形も、丸いし、心も、あっかたい…」  「…体形が丸い…」  その言葉が、私に刺さった…  実に、刺さった…  なぜなら、その通り…  その通りだからだ…  だから、刺さった…  刺のように刺さった…  私の心に、刺さったのだ…  私が、葉尊の言葉に、動揺していると、それに、気付いた葉尊が、  「…お姉さん…スイマセン…」  と、すぐに、詫びた…  だが、私は、なにも、言わんかった…  いつもなら、  「…別に気にするな…」  とか、  「…まあ、その通りだからな…」  と、答えるところだが、今回は、そうは、いかんかった…  なぜなら、その言葉は、禁句…  この矢田にとっては、禁句だった…  胸が、大きいのは、誉め言葉だが、太っているのは、悪口…  つまり、そういうことだった(苦笑)…  日本人で、胸が大きい女は、例外なく、太っている…  当たり前だ…  太っていなければ、胸が、大きくならないからだ…  太ってなくて、胸が大きい日本人の女は、ほぼ整形…    白人は、スリムでも、胸が、大きいのは、人種が、違うからだ…  だから、私は、  「…お姉さんは、胸が大きくて、凄いです…」  と、葉尊に言ってもらいたかった…  「…体形がまん丸い=太っている…」  とは、言ってもらいたくなかった…  これは、矢田の女心…  35歳の女心だった…  この矢田の35歳の女心だったのだ…  すると、葉尊が、  「…でも、お姉さん…その体形は、有利ですよ…」  と、言った…  いきなり、言った…  「…有利?…なにが、有利なんだ?…」  「…他人の心の中に、スッと入るには、有利です…」  「…どういう意味だ?…」  「…例えば、リンダです…あるいは、バニラです…」  「…あの二人が、どうかしたのか?…」  「…二人とも、たぐいまれな美人です…普段、見慣れているボクでも、正直、なんて、美人なんだと、驚くときがある…」  「…」  「…でも、それでは、他人に寄り添うことが、できない…」  「…どうして、できないんだ?…」  「…顔が、邪魔する…」  「…顔が、邪魔?…」  「…美人すぎて、まるで、映画の中のヒロインとでも、いるような錯覚に陥る…普段から、身近にいる、ボクですら、ときどき、そんな錯覚をするときがある…」  「…」  「…でも、正直、お姉さんには、それがない…」  「…」  「…誰からも、愛される、その顔と、体形で、すんなり、他人の懐に入ることができる…これは、有利…実に、有利です…」  「…有利だと?…」  「…変な話…お姉さんの方が、リンダやバニラよりも、強い…」  「…なんだと? …私の方が、強いだと?…」  「…そうです…強い…よく言われるでしょ? …可愛い顔をした女の方が、ツンとすました感じの美人より、男に、モテると…どうしてだか、わかりますか?…」  「…わからんさ…」  「…答えは、簡単です…可愛い顔の女の方が、話しやすい…ずばり、声をかけやすい…」  「…声をかけやすいだと?…」  「…そうです…だって、誰だって、ツンとすました美人には、声をかけづらいでしょ?…」  「…それは、そうだが…」  「…正直、お姉さんも、それと、同じです…その顔と体形が、まずあって、他人の懐に、容易に、入ることができる…正直、羨ましい…実に、羨ましい…なにしろ、お姉さんは、あのアラブの至宝の心をガッチリと、掴みました…これは、誰にも、できることでは、ありません…お姉さんだから、できることです…」  「…なんだと? …私だから、できることだと?…」  「…そうです…アムンゼン殿下は、用心深い…その地位のせいも、ありますし、言いづらいですが、あのカラダのせいもある…」  「…」  「…だから、とんでもなく、用心深い…しかしながら、お姉さんは、あの用心深い、アムンゼン殿下の懐にも、なんなく入ることができる…これは、お姉さん以外の誰にも、できることでは、ありません…」  葉尊が、言う…  実に、しみじみと、言う…  私は、そんなものかと、思った…  正直、葉尊の言う言葉に、実感がない…  なぜなら、私のことだからだ…  私=自分のことだからだ…  だから、わからない…  だから、実感がない…  そういうことだ…  これが、他人なら、わかる…  自分ができないことを、簡単にやる…  わかりやすい例でいえば、勉強でも、スポーツでも、他人ができないことを、やる…  だから、周囲の人間は、  「…アイツは、凄い!…」  と、感嘆するが、本人は、案外、どうってことないことだと、思っている場合が、多い…  なぜなら、自分のことだからだ…  真逆に、どうして、自分以外の人間は、できないのか?  と、不思議な気持ちになる…  本人から、したら、当たり前にできることだからだ…  私は、そう思った…  そう、思ったのだ…  そして、葉尊の口から、アムンゼンのことが、出たから、つい、  「…そういえば、葉尊、オマエ…お義父さんに、なぜ、アムンゼンのことを、紹介しない?…」  と、言った…  が、  それが、いけなかった…  その言葉で、いっきに、葉尊の顔色が、変わった…  見事なまでに、変貌した…               <続く>
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