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おれは、用心しながら通いなれた通勤路をあるく。
もうすぐ猛犬が吼える家のまえだ。
おれは、猛犬の家とは反対側をあるく。
まだ、トラックの姿は見えない。
おれは、忍びのように用心ぶかく、カニのように壁と一体化しながら猛犬のまえを通りすぎようとした。
しかし、音ひとつたてていないというのに、狂い乱れた形相の猛犬はおれに吼えかかってきやがる。
おれは、心のなかで備えていた。なので驚き飛びあがることはなかった。
そして、おれの目のまえを大型のトラックが通りすぎていった。
おれは、助かったとおもった。
猛犬が吼えた瞬間。向かいがわの一軒家の2階にすんでいる若者がキレた。
若者は、鹿すらも撃ちたおせるボウガンに、これまた殺傷能力のたかい矢を装填した。
そして、部屋の窓ガラスをがらりと開き、「いつもいつもうるさいんじゃ、ぼけッ」と叫ぶ。
そして、ボウガンの狙いを猛犬につけトリガーをひいた。
しゅッと精悍な風切音が聴こえた。
猛犬にむかってボウガンの矢はまっすぐに飛んでいくと思われた。
矢のゆくてを、トラックの堅牢な荷台がさえぎった。
トラックの荷台にあたったボウガンの矢は、かんッと乾いた音をたて斜め45度にはじきかえされた。
はじきかえされたボウガンの矢は、勢いをゆるめることなく空へむかって飛んでいく。
ボウガンを発射した家のご近所に、庭木の剪定をしているご老人がいた。
ご老人は、7メートルほどの巨木の枝を、脚立に腰かけながら枝切りばさみでチョキチョキと剪定していた。
そのご老人の右足に、斜め45度にはじきかえされたボウガンの矢はささり、骨をえぐり、モモをつきぬけボウガンの矢はとまった。
「ぎゃ~っ」と二十歳ほど若返った悲鳴をあげたご老人は、もっていた枝切りばさみを放りなげ、じぶんは脚立から落ち、「ぐえッ」と大関にふみつけられたような声をあげた。
老人の手をはなれた枝切りばさみは、くるくると回転しながら空を飛んでいく。
そして、電線をぱつッんときった。
ばちッんとした音があたりに響きわたり、明かりと音が消える。
枝切りばさみに切られた電線は、銅線をむきだしにしながら、ターザンのような声をあげるかわりに、火花をちらしながら振り子のようにゆれ、会社にむかっていた彼に接触した。
おれは、トラックにはね飛ばされる心配がなくなり、足取りも軽く駅にむかい歩きだした瞬間。
おれの体は、強制的に直立姿勢をとらされた。
手と足の指はぴんッとのび、目の表面が乾くほどに瞳孔はひらき、背筋に猛烈な痛みというよりも、日本刀で切られ死んだことに気づかず泳いでいる魚のごとく、致命傷をおっていると確信しているのに意識だけはある。
ひらききった瞳孔は、だんだんと近づいてくるアスファルトをとらえている。
ガンっと硬質的な音がおれの頭のなかに響き、そして、おれは意識を手放した。
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