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「九島さん、これはどうします?」
手伝ってくれている遺品整理業者の木岡さんが、一冊の本を渡してきた。
分厚いハードカバー表紙の単行本。タイトルは『リーダーたちの思考力』という、聞いたこともない出版社から出ている自己啓発本だ。
確かこれ……小学校低学年くらいの時に、親父から誕生日でもらった本だった気がする。
母さん、こんなのずっと取っといてたんだ。
「これが誕生日プレゼントだったなんて、笑っちゃうよな」
表紙を手のひらで擦ると、細かい埃が空中に舞った。吸い込まないように息を止めて、顔を背ける。
一連の動作を見ていた木岡さんが、笑いながら俺の独り言に反応した。
「教育熱心なお父様だったんですね」
「ただ金がなかっただけですよ。ゲームとかおもちゃを買う金もなかったんです」
「そうですかね? 本当に九島さんのことを思って、有効活用できるものにしたんじゃないですか?」
「普通七歳とか八歳の子に、こんなの渡します? まだ漢字も読めないですよ」
木岡さんは愛想笑いしながら「確かに」と小さく同調した。
白髪混じりで、度の強そうな分厚いレンズの眼鏡を掛けている木岡さん。木岡さんは気のいいおじさんって感じがして、とにかく話しやすかった。
「木岡さん、ご両親とは仲が良かったですか?」
「私ですか? いやぁー、実は複雑な家庭で育ちまして……両親の記憶があんまりないんです」
「そ、それは失礼いたしました」
「いえ、ですがね、私、婿養子なんです。義理の親がいます」
良かった……危うく空気を壊すところだった。
上擦った声で「じゃあ義理のご両親とは、仲は?」と聞く。
「仲良いですよ。一緒に暮らしてますし」
想像通りの回答だった。俺とは正反対だ。
「羨ましいです。俺なんて……親なんていないようなものです」
訝しげな顔に変わった木岡さんが、今度は俺に家族のことを聞いてきた。
「仲良くなかったんですか?」
「……ええ。親父は小学四年生の時に出ていったし、母ともあまり会話はなかったです」
木岡さんは深く頷きながら、遺品整理の作業の続きを始めた。
手を動かしながら木岡さんは「この家も、お母様にとってはさぞ広かったでしょうね」と呟く。
……その言葉は、俺にとって少し重かった。
高校を卒業してすぐに一人暮らしを始めた俺は、それから約十年間、この家に帰ってくることはなかった。
今回、母が病死したという一報を聞いて、久しぶりに戻ってきたのだ。
「あれ? それ、何ですか?」
母さんのことを思い出し放心していると、木岡さんが俺の足元に落ちている一枚の紙を指差した。
この本から落ちてきたのか?
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