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夏の夜の風みたいに温もりの残る笑みを浮かべながら、姉は言った。
「言葉の断片だけ摘み上げて、たった数パーセントくらいしか理解してないのに、全部分かった気になって失敗すんの。今でも思い出すなあ。パパとママが口喧嘩してたときとかも、あんた勝手にもうパパとママが離婚するんだって勘違いして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔であたしの部屋に転がり込んできたよね」
とはいえあの頃のあんたは小学校上がりたてだったから仕方ないか、と姉は笑っていた。
「でもあたし、あの時のあんたの言葉が一番嬉しかったな」
「おれ、なんか言ってたっけ」
「言ってたよ? ぼくはパパでもママでもなくお姉ちゃんについていくよ、って」
おれは再び赤面せざるを得なかった。もっとガキの頃だったとはいえ、なんとなくそんなことを言ったのを、いまの姉の言葉によって思い出してしまったからだ。
「どっちか選んじゃったら、選ばれなかったほうが可哀想だから……なんて理由まで述べてくれたあたりがね、本当にいじらしくて。大人になったら嫌でもどっちか捨てなきゃいけなくなる時が絶対に訪れるのに、この子はぜんぜん、全部選ぶ気満々なんだなって思った。そしてあたしをフォローするように、言ってたよ。ぼくはお姉ちゃんのことが好きだからお姉ちゃんを選ぶんだ、って」
おれは黙って俯いた。確かに言った。言ってた。それは認めるから、もうこれ以上記憶をサルベージするのはやめてくれ。
ただ、ガキの頃の話だから……と否定することもできなかった。
おれは確かにあの頃、もしも離婚するなら互いに相手に罵詈雑言を浴びせ続ける親父とオフクロではなく、姉について行きたいと思っていたから。誰かが怒っているところを見たくないおれのことを、ずっと黙って抱きしめてくれていたのは、他ならぬ姉だったから。
ふいに、姉が静かに訊いてきた。
「――今は、どう?」
「どう、って……」
「あんたにも分かるでしょ。いま、あの時みたくあたしを選んだとしても、誰も傷つかない選択になんてできない。それでもあんたは、あたしを選んでくれる? それくらい今でもあたしを、好きでいてくれてる?」
あの時。
今は。今でも。
いくつもの言葉が頭の中で飛び交った後、線で結ばれてゆく。
つまり、姉は――。
「姉ちゃん、もしかして」
「ええ、そうですとも。一応はお姉ちゃんですからねえ」
ちなみにうちの職場の上司は一度不倫して離婚したクソ野郎だから100%ないっすね、と姉は笑いながら付け加えた。
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