3人が本棚に入れています
本棚に追加
*
我が家から南へ少し下ると、大きな川沿いに出る。姉は川をまたぐ橋ではなく、そのたもとにある遊歩道のほうへ歩みを進めた。遊歩道なんて言っても、アスファルトのひび割れから雑草が顔を出しているような粗末な道だ。街灯は節電か、あるいは電球が切れているのか、三本おきにひとつくらいしか明かりが灯っていない。
言い訳みたく適当に置かれたベンチに腰を下ろした姉の隣に、おれも同じように座った。街灯がサボっている代わりに、月光が辺りを照らし出している。
「何から話せばいい?」
とは訊かれたものの、おれは姉にまず何から訊ねるべきか、少しだけ考えた。
「姉ちゃんが旦那と出会ったのって、姉ちゃんが通ってたスポーツジムで声を掛けられたことがきっかけなんだっけ」
「あー、それ、嘘だよ。そうでも言わなきゃうちのパパ、納得しないじゃん」
それ自体には特に驚かなかった。確かにうちの親父は頭が石器時代のままだし、姉がそんなキラキラした出会い方を好むタイプでないのは、弟であるおれがよく知っている。
「ほんとはね、会社の飲み会から逃げ出して一人で飲んでたら、たまたま同じ店に来たあの人と意気投合して、勢いでそうなっただけ」
「勢い?」
「そりゃそうよ。男に比べて、女の旬は短いわけ。男が普通のホールケーキなら、女はクリスマスケーキみたいなもんなの。旬を過ぎたら、敢えてそれを選ばなくたってよくなるでしょ。だったら少しでも目を引くうちにいただいてもらわないと」
つまりは、さして想い入れが強くもない相手と誓いを交わすということらしい。健やかなる時はともかく、病める時なんかは大丈夫なのだろうか。伝染ったらやだからあっち行っててくんない、とかいう地獄のようなやりとりが生まれやしないか。
いや、違う。
姉は結婚式で行われる「誓い」の儀式にさしたる意味がないことを理解している。親戚から小遣いをもらうとき、オフクロが「いいのいいの気を遣わないで」と言ってみせるのと同じ程度にしか思っていないはずだ。
しかし。
「……姉ちゃん、それでいいの?」
「だって、しょうがないじゃん」
姉はあっけらかんとした様子で返事をすると思っていたが、ここでの「しょうがないじゃん」には、どこか不満そうな色が見え隠れしていた。
「あたしにだって、ずっと好きな人くらいいるよ。でも、きっと世界の誰も、あたしとその人が結ばれることなんか赦してくれない。道義的に認めてなんかくれない」
あー誰もは嘘かその相手が認めてくれれば一人増えるか、と姉は独り言ちたあとで言葉を繋いだ。
「それに、この気持ちを相手に伝えた瞬間、仮に失敗したってもう『嘘でした』なんて言えないでしょ。それまでの関係性になんて二度と戻れない。ずっとあたしは(この人はあたしの恋人になってくれないんだ)って思うし、相手はきっと(そういえばおれ、この女のこと振ったんだよなあ)って思うことになる。そうなりたくないから、しないの」
最初のコメントを投稿しよう!