独白

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 それは幼稚園の頃だった。私は園に置いてあった新聞を流暢に読んだ。かなり難しめの漢字も、地名も、人名も。先生たちは驚いていた。それから「〇〇君、この字、読める?」と何度か聞いてきたが、私はそのたびに完璧に読んだ。それから先生たちは私のことをこっそりと「神童」と呼び始めた。私は聞こえないフリをしたり、「神童」の意味が分からないフリをした。そのほうが得だと思ったからだ。  小学校に上がってからも同じようなことがあった。ある時、日本地図を描くことになり、ささっと軽く描いた。それを見た担任が度肝を抜かれたような顔をしていた。担任は「完璧」と小さな声で言った。地図帳の日本地図と比べても何ら遜色がない。私は「えっ?何でそんなことで驚いてるの?普通のことじゃん」みたいな顔をした。しかし担任は感心はしたが、「神童」とは言わなかった。私はそれが少し不満で日本地図のまわりに世界地図も描いた。これもほぼ完璧なできである。今度は「神童」と言った。私はポーカーフェイスで満足した。  私の通っていた小学校では英語の授業があった。外国人の先生のもとで生きた英語を学ぶ、という趣旨だ。英語の授業の一歩目はアルファベットだ。A、B、Cとみんなやっている。私はこんな子供っぽいことはできないな、と思い、先生に英語で「僕はアルファベットは完璧に書けます。だからこの時間、本を読んでいたもいいですか?」と聞いてみた。私のきれいなブリティッシュイングリッシュに先生は驚いたようだったが「OK」と許してくれた。それから先生と個人的に話すようになり(もちろん英語で)仲良くなった。そして発音のお墨付きをもらった。私は「神童」の意味の英単語が発せられたのを聞き逃さなかった。  漢字とか英語とか、勉強ぱかりが得意で、ガリヒョロかと思われたかもしれないが、私は足も速かった。50メートル走で平均的な記録を3秒ほど上回っていた。運動会ではいつもリレーの選手。子供の頃は足が速いだけでモテるのである。だから女子からは憧れの目で見られていたが、私は極力知らないフリをしていた。体育の先生は私の走りを「神の走り」と呼んだ。  そうそうこんなこともあった。小学生の夏の宿題と言えば工作であるが、合体ロボットを作って持って行ったのだ。普通、合体ロボットというのは合体した後のことを考えるから、個別のロボットは付け焼き刃感が否めない。しかし私の作ったロボットは合体してもしなくても格好よかった。特に右手を担当する3号機。クラスの男子にファンクラブができるほどの人気だった。あまりにも出来が良すぎて、学校に寄付してほしいと打診があったくらいだ。クラスの後ろに飾っているのを見て誰かが「神の作ったロボット」とつぶやいた。  こうして一目置かれながら私は小学校生活を過ごし中学へ上がった。中学のクラスでは絵を描くことが流行っていた。私は特に習ったり練習したりはしなかったのだが、やはりできてしまうのだ。誰かが「マンガ家になれるよ。」と言った。私は真に受けてマンガなるものを描いてみた。私の処女作は30ページの冒険もの。そのマンガはクラス中で回し読みされた。「〇〇先生の次回作は?」の声に私は気をよくした。そしてこのマンガを少年誌のマンガコンテストに応募してみよう、という話になった。私は自信があったがないフリをした。そのマンガは大賞を受賞した。ダントツの最年少受賞。選考委員の「神童あらわる」の寸評にほくそ笑んだ。出版社からはデビューの打診もあったが、私は丁重にお断りをした。  あと中学時代はラブレター代筆業にいそしんだ。ごく普通の男の子が学年のマドンナに恋をした。まわりからはとても釣り合わない、と思われていたが、私の書いたラブレターでマドンナを落とした。コツはとにかく独自の視点。「そこ褒めるか?」というポイントを徹底的に褒めた。これに尽きる。私は代筆のことをおおっぴらにしてなかったが、どこからかその情報が漏れていた。何人かの人に代筆を頼まれたが成功率は100パーセントだった。私の書くラブレターは「神業」と言われた。  そうそう中学時代にはこんなこともあったな。先ほど私は絵が上手い、ということを言ったが、私の描いた似顔絵で放火犯が捕まったことがあった。ある日の夕方、古い集合住宅の前に不審な男がいた。私が見たのは一瞬だったが、後で放火事件があったと聞き、あの男が怪しい、と感じ、交番であの怪しい男の似顔絵を描いたのだ。すると翌日には逮捕されていた。余罪もかなりあったらしい。私は警察で表彰された。署長に「君の手は神の手だ」と褒められた。  また実はオシャレにも精通している。私はおそろしいほどスキがないのだ。中学の時はあるファッション雑誌のストリート特集に載ったことがある。当時の中学生はみんな読んでた雑誌で知名度抜群。おかげで他校の子からも顔をさされるようになった。その時私の凝ってた服装はマント。何にでもマントを合わせていた。雑誌に載ったのは青いマントに紫のジャケットの組み合わせだったか。雑誌には「神の組み合わせ」と書かれていた。  そして高校進学。私は勉強なんてどこでもできる、と思ってたので、近所のそこそこの高校に通った。しかしそこでも記憶に残るいろいろなエピソードがある。まずは数学。何とかの定理とかいうのがあって、当時は実は証明がされてなかったのだが、わたしがささっと証明してみせた。しかも高校までの数学の範囲で。ただ何となく気になったから証明してみただけで、軽い気持ちでやったのだ。表彰式をやってくれるという話になったので行ってみたら、日本の数学の第一人者、と言われる人に「神様に選ばれた少年」と形容された。  それから、これ言っていいのかな?まあ、いいか。将棋のプロ、F七冠っているじゃない?実はネットで対局したことがあって。勝ったんだ。関係者からは内密にしておいて、と言われたけど。あのF七冠を一方的に攻め潰したんだ。ネットとはいえすぐに公開中止になったし、棋譜も残っていないから知ってる人はほとんどいないが。棋界のご意見番のT九段には「彼こそが本物の将棋の神」と褒めてもらった。  いよいよ大学進学。大学は勉強してかなりいいとこに行った。何となく工学部を選んだ。そこである素材を研究していたのだが、間違って酢を垂らしてしまい途方に暮れていた。だがそのことが良かったらしく、より強度の強い素材ができていた。教授が学会発表の時に、私の名前を付けるか提案したが丁重に断った。教授にはいまだに「神の酢事件」とからかわれる。いい思い出だ。  あとバイトにも力を入れていた。弁当工場でご飯に梅干しを乗せる作業だ。私がやるときれいに真ん中に配置される。見てなくても、だ。先輩のフィリピン人のおばちゃんにも褒められた。「神の右腕」だと。  大学を卒業すると当然就職するわけだが、残念ながら就職は上手くいかなかった。大学の専攻から某メーカーに就職したが、上司ととにかく反りが合わない。自分は今まで人間関係は得意だと思っていたが散々に打ちのめされた。上司は結果を急がず待つタイプの人だった。私はとにかく成果成果だからうまくいかない。よく「君は地に足がついてない」と言われた。社風も結果を急がない社風なので、私は孤立していた。そんな中、事件はとうとう起こった。ある素材を3日放置するとどうなるか、という実験を、私は1日でやってしまったのだ。バレないと思っていたがバレていた。このことが決定的となり、ゆっくりと肩叩きをされた。このままではジリ貧なので、先手を取って会社を辞めることにした。両親や友人からは残念がられたが、もう限界だった。それからは非正規の負の連鎖だ。転職するたびにどんどん待遇が悪くなっていった。悪い時には悪いことが重なるもので、3社目の転職を行ってた期間に、投資詐欺に騙されて800万の借金を負ってしまった。今思えば、そんな都合のいい話なんてあるわけない、と思うのだが、状況的にあせっていたんだろう。女性関係はどうだっただろうか。振り返ってみると、彼女的な存在がいたのは高校時代くらいまでだった。モテてもいいポジションだったが、意外に縁がなかった。しかもあくまで彼女的。はっきりと彼女と呼べる存在はいなかったのかもしれない。大学は理系だったので知り合う場もなかった。それを引きずり会社員時代も。実は素人童貞なのだ。順調満帆に見えた私の人生は大学卒業後、急激に悪化した。今はアラフィフ。妻も子もいないし、その日暮らしの生活だ。  と、これまでの人生を振り返ったわけだが、それには理由がある。ここ何週間か体調がすぐれず、昨日病院に行ったのだが、いろいろ検査され、結局、余命宣告的なことをされた。なんでも後3ヶ月らしい。両親とも疎遠だし、友人もいない。孤独で死を待つばかりだ。せめて良かった頃を思い出しときたい、その思いで、今までの人生を振り返ったのだ。私は宣告されて即入院した。体は健康、頭もよく回るのに、何本か管を差された。日ごと読書をして過ごした。食事、睡眠、読書の繰り返し。退屈するかな、と思っていたが、今までの人生で一番充実していた。最初の頃は何で入院するのか分からないくらいだったが、一月、二月と過ぎるにしたがって体調は悪くなった。面会は誰も来ない寂しい二ヶ月だ。さすが医者の見立て、三ヶ月目を迎える頃にはかなり悪化し、ほとんどの時間眠りについていた。最期の日は確実に近づいている。突然、その日は訪れた。私は夢の中で夢を見ていた。そしたら神様らしい人の声が聞こえてきて「もういいよ」と言った。それきり私の記憶がない。私の病室周りは少し慌ただしくなった。教科書通りに手続きが終わって、私は荼毘に付された。  それから3日後。 「やっぱりダメだったか。」 「そうだね、ダメだったね。」 「実験は失敗か。」 「まあ、失敗は成功のもと、とも言いますし。」 「貴重なデータが取れたと思えば。」 「やっぱり褒めることによって必要以上の力を出させる、なんて無理なんですよ。」 白衣の男たちが話している。彼らは国家的プロジェクトの「能力のない人間を褒め続けたらどうなるか」の面々である。最初からずっと関わっていた研究員もいれば、最近このプロジェクトに入った若手もいる。話は必然的に若手のベテランへの質問が中心となった。            「幼稚園で漢字が読めたってエピソードがあったじゃないですか。あれってどうやったんですか?」 「あれか?トリックとしては簡単なんだけど、どう読んでも正解ってことにしてたんだよな。完全に間違ってるのに。あいつ、さも正解のように振る舞って。神経だけは図太かったな。」 「じゃあ地図は?」 「あれって紙の裏に薄い線が描いてあって、あいつはそれをなぞっただけ。」 「じゃあ英語ペラペラの件は?」 「これは全くトリックなんてない。あいつ、生まれて少しの間、イギリスに住んでたんだよ。だからある程度は喋れたのさ。」 「50メートル走はこっそり後ろから風を当てた。」 「合体ロボット?あれは、あいつがその日に作ったものをプロの人にお願いして、ちょっとずつ完璧なものに換えてたんだよ。」 「それからマンガか?そもそもあいつはひとりで描いたことにしているが、本当は共作だったんだよ。できる子がいての作品。あいつはじゃない方芸人だもん。」 「ラブレターはみんなグル。」 「それから似顔絵か。あれはガチだったから警察も何人か誤認逮捕してるんだよな。」 これは笑えない。 「あとオシャレか。まああんなもん雑誌サイドでどうにでもできるわな。マントのところは笑いが止まらなかったけどな。」 「数学の証明は150年前に証明されていたもの。それを、さも自分が証明したかのように思い込んでたんだ。」 「将棋に関しては、あいつも言ってるようにほとんど証拠がないからな。その辺の子をF七冠に仕込んだんだよ。」 「あいつって大学時代はそもそも大したことしてないよな。これはみんな、あいつのあまりの才能のなさに呆れて、やる気をなくしてたからだ。酢のエピソードは単なる失敗だし、梅干し乗せも、まあ誰でもできるっちゃできるよな。」 「そうそう、エピソードの終わりに誰かが神的なことを言って褒めてるだろう?あれって結構やっつけ仕事みたいになってたよな。」 「大学卒業してからのあいつが、本当のあいつだよ。何ひとつ成し遂げてないだろう?」 「それはそうですけど。なんかかわいそうになりますね。人の人生とはいえ。」 「まあ、実験動物に同情するやつはいないからな。そういう感情はやっていくうちになくなっていくよ」 「そんなもんですかね」 「そんなもんだよ」 「アハハハハ」 大団円。  
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