Case.3 痩せ馬の声おどし

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金曜夜。崎山の部署のほぼ全員が待ち望んだ忘年会だ。 定時後、原宿駅前の居酒屋に集合した参加者たちは、めいめいに酒の席を楽しんでいる。 幹事が予約した大人数用の座敷席。その一席で、崎山は渋面でウーロンハイを流し込んでいた。 本当は忘年会や歓迎会にも崎山は出たくないのだ。だが彼を掬い上げた上司によって、一次会だけは出ろとばかりに毎回、事後承諾で参加名簿に名前を書かれてしまう。 その鬱憤を晴らすように、崎山はこういう席ではひたすら黙って飲むことに徹し、時間が過ぎ去るのを待つことにしている。 そんな荒んだ表情の彼に、総務部長の渡辺は苦笑する。 今回は部署内での飲み会であるから、彼が一番の目上だ。自然と一番の上座を幹事たちによって用意される。 その隣に座るのは、いつも崎山と相場が決まっているのだ。 以前、何故かと質問してきた部下に彼は、「人見知りで私が見ていないとすぐに帰ってしまうから」と鷹揚に答えた。 その後、誰にも異論を唱えられたことはない。 渡辺は、崎山が飲み会の度に不機嫌そうになる理由を知ってはいる。彼の抱えている事情をかいつまんで伝えられているからだ。 それなのにこうして崎山を部署の飲み会に連れ出す。 崎山にとってはとても迷惑で抗議したこともあるが、たまに有益な話が聞けることもあると流されてからはやめた。 ただでさえ日々疲れているのに、無駄な労力を使いたくない。 はぁ……と疲労感の溢れたため息をつく。渡辺が話しかけてきた。 「崎山くん。おいしいよ~、ここ」 「……そうですか」 にこにこと、人の良さそうな笑みを浮かべる上司に、崎山は思わず眉間を揉む。 どこか滑舌が不明瞭なのは、口に何かを含んでいるからだろう。 先ほど、視界の端で渡辺の取り皿に対面の誰かが料理を取り分けていたのを思い出した。 「ほら、魚もお食べ。君は筋肉があるからタンパク質を食べないと元気になれないよ」 「……ありがとうございます」 渡辺は、まるで親戚のようなフランクさが滲む口調で、崎山の取り皿にひょいひょいと刺身を何切れか盛っていく。 渡辺もいる部署の飲み会ではよく見られる光景だ。 彼の意向により、忘年会は完全に無礼講と現在の総務部では決められている。 渡辺自身がそういう空気感が苦手だということもある。 ただし本来の理由は、崎山が酒の席ではほとんど飲食しないからだ。 かつて彼が所属していた部署で、その点も含めて部の社員全員で詰られた経験がある。 そのせいで傾向に拍車がかかったと言っていい。 渡辺には、そんな部署から異動する切欠を示してくれた恩がある。 切れ者なのだがそれを感じさせないようなのほほんとした容貌もあいまり、どうにも反抗しづらい。 よって、他人に無関心の崎山にしては珍しく、渡辺にあれよあれよと物を食べさせられるのだ。 崎山の取り皿の上はあっという間に、小さな刺身盛りが出来上がった。ご丁寧にツマの上に並べている。 それを見て、崎山は諦めて割り箸を割った。渡辺は苦笑して訊く。 「……相変わらず、人は嫌いかい?」 「はい」 先ほどとは打ってかわった、明瞭な返答に苦笑を深める。 それに我関せずと、崎山は適当に目に付いた切り身を箸で摘まんだ。 そのとき、逆隣の男性同僚が爆笑したはずみで体を傾けた。崎山の左腕と彼の右腕がドンと触れる。 「……ッ!」 声にならない悲鳴と共に目を見開いて、崎山は壁まで後ずさる。 その勢いで周辺の同僚たちは皆そちらの方を見たし、離れた席に座っている同僚も何事かと目を向ける。 「……どうしたんすか」 その同僚は普段、崎山のことをあまりよくは思っていない数年下の世代だ。 だが彼の表情を見て、どうしたのかと思う気持ちまでは失っていなかった。 その一言に、崎山は詰めていた息を吐いた。下手くそな呼吸を繰り返しながら俯く。 「……なんでもない」 かろうじて絞り出した声は震えていた。その声音に、同僚たちは近場の同僚たちと顔を見合わせる。 崎山は苛立った。こんな面を家族以外になど見せるつもりなどなかったのだ。 一生、心の中の一番深い場所に隠して閉じ込めて引き裂いて殺して捨て置くつもりだったのに。 これだから、多人数の場所は嫌いだ。 なんとか立ち上がる。渡辺が訊いてきた。 「どうしたんだい?」 「……手洗いに」 「そう……、足下気をつけてね」 返答せず、崎山は自分の靴を探し当て履く。 トイレに行くまで、ガンガンと頭の中が響く。血の気が引いているのも感じた。 今、鏡で自分を見たら恐らく顔色も悪いのだろう。 (……くそっ) 顔を歪めて舌打ちする。うっすら冷や汗をかいた額を、乱雑にスーツの袖で拭った。
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