Case.3 痩せ馬の声おどし

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近年リノベーションしたという、設備が最新の物で整えられているトイレの洗面台。 いたずらに水を最大量で流しながら洗面器の縁に手をかけ項垂れ、呪詛のように崎山は自分に言い聞かせる。 「大丈夫……大丈夫……、誰も俺のことなんか好きにならない……、俺のことなんか興味ない……」 そう自分で自分を奮い立たせなければならないほど、崎山は常から精神的な圧迫を感じて生活していた。 こうやって追い詰められる度に、両親からの「在宅で出来る仕事を見つけたらいいんじゃないのか?」という言葉が脳裏をよぎる。 だが、ただでさえ両親には心配をかけたし、精神的な原因で虚弱になってしまった母のこともある。 心配はかけたくなかった。きちんと自立して、一人の成人として生きている様を両親に見せて安心させてやりたかったのだ。 体の震えが収まったら戻ろう。そう思いながら流れる水をなんともなしに眺めていると、誰かがトイレに入ってきた。 「崎山先輩、大丈夫ですか?」 「っ?!」 不意に声をかけられ、思わず振り返る。 そこにいたのは、少し離れた席に座っていたはずの西村だった。 西村はトイレに入ると扉を閉める。それから気遣わしげに話しかけてきた。 「すいません、ちょっと具合悪そうで気になっちゃって……」 その言葉に、崎山は視線を外しながら舌打ちする。 この後輩は普段から、やたらと自分に話しかけてくるのだ。鬱陶しいこの上ない。 「……平気だ、何しに来た」 乱暴にレバー式の蛇口を閉める。 今すぐトイレから出たい。だがそちらの方面には西村がいる。近づきたくなかった。 「平気なんですか? 顔色悪いし声も元気ないですよ?」 西村は心配げな表情で近づいてくる。 崎山は何故近づいてくるんだと思いながら、洋式便器の個室の方へと移動する。 苦肉の策だが、西村が席に戻るまで個室に籠城しようと思ったのだ。 「……心配ない、しばらく休めば平気だ。貴様はとっとと席に戻れ……!」 すると西村が更に近寄ってきた。 「嫌です、戻りません」 「は?」 瞬間、後ろから二本腕が伸びてきた。それらが個室の扉の淵を掴み、籠城を阻止している。 崎山は思わず、ヒュッ、と息を呑んだ。 気配がする。背にじりじりとしたモノを感じる。 見たくないが、思わず振り返る。 自分とほぼ変わらない身長のせいで、予想以上に西村の顔が近くにあった。場違いな程に真剣な顔をしている。 悲鳴が喉まで出かかったとき、彼は表情に違わぬ声音で告白した。 「俺、先輩のことが好きなんです」 「……は?」 よろけるように後ずさる。がん、と革靴のかかとが陶器製の便器に当たって音を鳴らした。 いったん治まっていた頭痛がぶり返す。視界と気道が狭まっていくようだ。 「俺、新入社員の頃から先輩のことタイプだったんです。だから先輩のこと会社ではいつも見てるし、心配なんです」 (……いつも、見ていた?) 確かに、この後輩が配属された頃は妙に視線を感じることが多かった。 いちいち気にしていたら仕事にならないと判断したため、それ以降は特に気に留めないように努めていたのだが……。 『いつも見てたよ』 脳裏に、今でも崎山を苦しめる、忌々しい男の声が蘇った。 「先輩が男どころか女性にも興味ないの知ってます。でも、俺は諦めたくなくて」 西村が何か言っているような気がする。 が、崎山の耳には届いていない。 『諦めなくて良かった』 脂下がった中年男の顔がオーバーラップする。 「……、っ」 息苦しい。何度息を吸おうとしても息苦しくてたまらない。全身の血の気がどこかに行ってしまったように寒い。 思い出したくない記憶が、厳重に封印したはずのそれが、勢いよく漏れ出してきた。 ――未成年ポルノ作品が散乱する部屋。ベッドに縄で全裸の四肢を拘束され、丸めた大人の着用済み下着を口内に押し込まれ、同じく全裸で股間を勃起させながらのしかかってくる誘拐犯の姿―― 「ひ……っ」 気持ち悪い、気持ち悪い、きもちわるい! 体の震えが止められない。吐き気すらしてきた。 「……だから、俺とまずは友達の距離からおつきあいしてくださ……、って、先輩? どうしたんですか……?」 ――体中舐め回され、口に舌を捻じ込むキスまでされ、無理矢理脚を閉じさせられたと思ったら太股の間を男の逸物が乱暴に出入りし、白濁をなすりつけられる。 ――また、そんな目に遭うのか? ――怖くて、暗くて、くさくて、いみが分からないコトをされて。 ――およめさん、なんてよばれて。
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