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「崎山先輩、チェックお願いします!」
「ん」
隣席の後輩から差し出された書類を、そちらを見もせずに手を向けるに留める。
その手の上に後輩がぽすりと書類を乗せてくるので、男――崎山は、ペン立てから赤ボールペンを引き出しつつそれを自分のデスクに持っていく。
ここは東京都内の某大手服飾メーカー、総務部。
書類をチェックしている彼は、昨晩催眠音声を聞きながらベッドで悶え射精していた人物と同一人物とはとても見えなかった。
今の崎山は、天然で色素の薄い癖毛を整髪剤で整え、隙なくビジネススーツを着こなしている。身長が急激に伸び始めた高校生の頃から欠かさず行ってきた筋力トレーニングで培った体格と、どこか人形めいた作りの美しい容貌は、女性の目を惹くのに十分だった。
だが彼の社内での評価は、男女ともに芳しくない。
ふと、書類をチェックしていたボールペンの動きが止まった。
「……チッ」
小さく舌打ちをしてから、彼はまたボールペンを走らせ始める。
しばらくしてから不機嫌そうな声音で西村後輩に声をかけた。
「おい」
「はい!」
呼ばれた西村後輩は笑顔で顔を向けた。そんな彼の顔も見ずに、崎山は書類を突き返す。
「基本的な所で誤字作ってんじゃねえ。こっちに回す前にチェックぐらいしろ」
その指摘に西村はぎょっと目を剥いて、ポールペンのノック部で叩かれ続ける箇所を確認する。
そして今気づいたとばかりに目を見開いた。
「……あっ、あれ~……? すいません……」
「あと丸つけた所修正しろ、すぐにだ」
「はい!」
無愛想に突きつけられた指示に、西村は気っぷのいい返答を返す。
後輩のミスを指摘する先輩。オフィスで見られる光景としてはありふれている。だが、崎山の態度に問題があると感じている同僚は大勢いた。
「……アイツ、ほんと言い方どうにかなんねーかな。言ってることは正論なんだけどなぁ……」
「仕方ねえよ。崎山には何度言ってもムダムダ。仕事すっぞ」
やや離れた席からそう囁きあう二人の男性同僚。この二人だけでなく、崎山と所属部署が同じになった経験のある同僚たちは、皆彼らと大なり小なり同じことを思っていた。
崎山のオフィスでの態度、特に振る舞いや言い回しなどがキツイ、と。
仕事に厳しいのは構わないが、他人に対する態度や発言をもう少し当たりよく出来ないのかと、彼のことを案じている社員もいる。
崎山は仕事は出来る。しかし、敢えて選んでいないのではないかと思うほどの立ち振る舞いの厳しさが、印象を低減させてしまうのだ。
眉目秀麗で端正な容姿の魅力がぁ……。と、女子社員が隠れて嘆くほどに、常の表情は険しく言葉遣いも荒々しい。一般的な成人男性と比べて身長も体格も恵まれている。
それらが要因となり、彼は数多くの社員から威圧的だと思われている。特に彼と関わりのない社員にその傾向が顕著だ。
だが彼自身は、そんな周囲の評価など全く気にしていない。歯牙にもかけていない、と言った方がいいかもしれない。
(……くだらない。こっちは有象無象に関わる余裕なんぞないんだ)
ほぼ毎日毎日聞こえてくる同僚たちのひそひそ話に、人生で何度目か分からない舌打ちを打つ。
崎山のスタンスは、「仕事は全て生活費と夜伽光先生への課金と老後資金のためだけのもの。他人など所詮厄介ごとしかもたらさないのだから人間関係の構築は無駄」だ。
彼は、周囲の自分に対する評価を煩わしい雑音程度に切り捨てている。もちろん収入源が絶たれるのは本末転倒なので、首切りにあわない程度にだが。
崎山は自分の態度を改める必要はないと思っている。会社とは、労働と引き換えに毎月の給金を得るための場所なのだから、そこに過度な馴れ合いなどいらない。
ここの人間はそれを分かっているのかいないのかと、崎山は常から苛立たしく思っている。
それを叩き付けるように、崎山は今日もキーボードを叩き続ける。
「……」
ちらり、と西山が崎山を見やった。
その顔には、ありありと心配と好意の色が乗っている。が、それに気づいているのはごく一部の『そういう』趣味を持っている女子社員のみだ。
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