Case.1 あの声でトカゲ食らうかホトトギス *

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崎山はいつも通勤・帰宅のラッシュを避けるために、朝は早く出て、夜は数時間残業してから帰っている。 今は22時過ぎ。居酒屋ハシゴの若者や、残業を済ませたり就業シフトをこなした社会人が道を歩く。 皆、吐息を白く曇らせ、ビルの明かりや街路樹に巻かれたイルミネーションの隙間を縫っている。 改札口に入ろうと駅の方向に交差点を曲がったときだった。 「あ、」 もしかして(みつる)? と前方にいる男性に話しかけられた。崎山は一瞬立ち止まりかけたがすぐに歩き始める。 都内に越してきて十数年。希薄な関係性だった学生時代の同級生とも、付き合いはとっくに切れている。そんな彼に話しかける連中など、ろくでもないやつしかいない。 あるときは詐欺、あるときは宗教、またあるときは政治選挙など、枚挙にいとまがない。 早く帰るに限る、とため息をついたところで、慌てて近寄ってきた男性が声を上げた。 「待てって! 俺だよ、光貴! 工藤(くどう)光貴(こうき)!」 その呼びかけに、崎山の足が止まる。そして、相手を見て自身の顔つきから険が消えた。 呼びかけてきた人物は、細身に黒いコートを着こなした美形の男だ。 そして何より、崎山が夜伽光と両親以外では、唯一愛着を持っている幼馴染みの面影と名前を持っていた。 「……本当に、工藤光貴か?」 「そうだよ! うわあ、偶然だなあ」 にこやかな笑みを浮かべながら近づいてくる光貴。だが崎山は踵を返す。 光貴と最後に会ったのは、崎山の第二次性徴期がまだ始まらなかった頃だ。別人と間違えているのだろうと思ったのだ。 すると光貴はがっしりと崎山の腕を掴んで立ち去るのを阻止した。 「ちょ、ちょっと待てって!」 「……確かに、俺は工藤光貴を知っている。だが、俺がお前の言う奴とは限らないだろう」 最後に会ったときはもっと弱々しくて、年下のお前に負けるくらいのチビで、泣いてばかりのガキだったのだから。 そう自嘲するが、それを口にすることはない。子供の頃の己を思い出すと、苦痛と恐怖も一緒にせり上がってしまいそうだから。 だから腕を振り払おうとしたとき、光貴が自分から手を離した。その手がぽん、と崎山の癖毛に置かれる。 「いいや、見間違えたりしないよ。ぱっと見体格良くなっても、身長が伸びに伸びたとしても、充は充だって、俺は分かるから」 その優しげな声に、崎山は内心首を傾げる。 ここ数ヶ月、ほぼ毎夜毎夜聞いている声に似ているような気がしたのだ。 その疑問への答えが出ぬまま、光貴は崎山の前に出る。 ざっと観察するように崎山の顔面を見たあと、満足そうに笑った。 「うん、やっぱりそうだ」 ぽんぽん、と崎山の肩口を軽く叩く。 崎山は思わず戸惑った。 この体格から子供の頃の姿など到底連想も出来ないだろうに、光貴は道でちらりと見えただけであろう相手を、自分の幼馴染みの崎山充であると見抜いたのだ。 それも、22時過ぎの、仕事帰りや晩酌目的の人間がそこそこ歩いているような都会のオフィス街で、だ。 奇妙なまでに人間観察力が高すぎる、と崎山に穿った考えが浮かぶ。 子供の頃に別れたきりの幼馴染みなど、自分は道ですれ違っただけでは絶対に気づきやしない、と思うからだ。 だがそれは崎山個人の考えであって、そういう人間ばかりではないということを彼は見落としている。 それでも、顔を正面から見て名乗られて、崎山も目の前の男が工藤光貴だと認識した。 ずっと羨ましく思っていた、ストレートの黒髪。つり目気味なのにキツさを感じさせない、温和な表情と物腰。そして何より、声変わりを経ているものの昔と変わらない響きの声。 彼とその家族についてだけは、その存在を忘れたことはなかった。引っ越すまでずっと自分たち家族によくしてくれた唯一の隣人たち。 そして、彼が生まれた時からずっと兄弟のように一緒に育った幼馴染み。 崎山の中で、工藤光貴という人物は特別なのだ。 (……光貴ならば、多少の詐欺案件であっても話だけは聞いてやらんでもない) 長年会う機会がなくともそう思える程には、崎山は工藤光貴という幼馴染みを信頼しているのだ。 「充はこれから帰りなのか?」 「……ああ」 「こんな時間までか。大変だなぁ」 「……お前もそうではないのか?」 光貴は2歳年下だったから、もう今年で28歳くらいのはずだ、と記憶を掘り起こす。 すると光貴は肩を竦めた。 「自営業なんだけど、お客様のお陰で忙しくさせてもらってるよ」 「大変だな」 「お互い様」 話をしているうちに、徐々に子供の頃のような気安さが互いに流れ始めた。 どちらからともなく、ゆったりとした歩幅とペースで歩き出す。
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