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「充は電車通勤なのか?」
「地下鉄だな」
「最寄りは?」
「メトロの明治神宮前だ」
「……」
ここで、光貴が何か言いよどむような仕草を見せた。
「……大丈夫なのか?」
「何がだ?」
「……その……人ごみ、とか……」
それに崎山は、ああ、と相づちを打つ。
「心配ない。混まない時間に行き来してるからな」
「……もしかして毎日、朝早く出て夜こんな時間に帰ってるのか?」
「ああ」
崎山の肯定に、光貴の表情が心配と呆れ混じりのものになっていく。
「……ちゃんと寝てるのか?」
「寝ているぞ?」
「……心配だよ、色々」
「心配の必要などない。もう慣れたしな」
人のいない時間帯を探っている時が一番精神が削られた、とは言わない。
そんなことを言ってしまえば、自分の過去を知っているこの幼馴染みは色々と考えてしまうだろう。
崎山がそう思っていると、光貴が話題を変えてきた。
「あ、あー……、充はこの辺で働いてるのか?」
「ああ」
「へぇ。サラリーマン?」
「そんなところだな」
「ふふ、充は頭良かったから大活躍なんだろうなぁ」
光貴はおそらく、同僚たちから頼りにされている崎山の光景を想像したのだろうか、ふわりと笑う。
その表情と声音に、思わず崎山は足を止めてしまった。
つい数日前に聞いていた、夜伽光の催眠音声作品にこんな笑みを漏らしたトラックがあったのだ。
謎の館に迷い込んだ無垢な少女(聴者)に快楽を刻み込み、自らの妻(ペット)とするための調教を施す館の主――……。
芋づる式に思い出してしまった感覚に疼く局部を悟られないように、崎山はやや俯き加減で歩き始めた。
(……早く家に帰ろう)
その思いからか、先ほどよりも足取りが速い。早く家に帰って、夜伽光の作品に耽りたい。
先ほどとは違う崎山の足取りに、光貴は首を傾げた。
しかし、冬の寒空に早く屋内に行きたいと思うのは当たり前のことだろう、と深く気に留めなかった。
歩いているうちに最寄り駅に着いた。互いに利用路線が違うことから、改札を通って別れの挨拶を交わす。
「あ、そうだ」
「……なんだ?」
崎山は既に自分の利用する路線のホームに向かって歩き出していた。光貴がスマートフォンを出しながら追いかけてくる。
「連絡先、交換しようよ。もうお互い子供じゃないんだし、親の許可なんていらないでしょ」
にっこり。そんな言葉が似合う笑顔で、光貴は自分のメッセージアプリIDを表示させて見せてくる。
ここで連絡先を交換せずに別れたら、次に会うためにはまた偶然を期待しないといけない。
(……それは、厳しいな)
人間関係に希薄な崎山ではあるが、光貴は関係を切っても構わない相手ではない。
久しぶりに再会できたのも、それがまだ切れていなかったということだったのだろう。
そう解釈し、崎山は苦笑しながらスマートフォンを取り出したのだった。
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