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アイマスクに無線イヤホン、そしてデータをインストールしてある夜伽光専用タブレット。
崎山にとってのストレス発散三種の神器とも言えるそれらを今夜も使いながら、自宅のベッド上で夜伽光のオナニー指示作品に従い手指を動かす。
夜伽光の声を邪魔しないようにタオルを噛み、ローションをたっぷりと纏わせたペニスを扱き続ける。
『……――ローションとカウパーのぬめりでちゃんと気持ちよくなれていることでしょう。後は、エクスタシーに向けて快楽を高めていくだけです――……』
イヤホンから吹き込まれていく声と効果音、ローションのぬめり、性的興奮に上がる体温、身じろぎする度に音を立てるベッド。
義務的な口調とは裏腹の、聴者に寄り添っているのだと白々しく主張しているような声音に、崎山の手も快感も止まらなかった。
やがて、くぐもった嬌声を上げながら素直に吐精する。
がくがく、と腰を跳ねさせ、尿道を通る精液の感覚に脳が痺れるようだった。
どうでしたでしょうか? といった音声を聞きながら、徐々に冷静さを取り戻していく。
それと同時に、常から思っていることを思い始めてしまった。
(……夜伽先生に、直にカウンセリングを受けたらどんな感じになるんだろう)
ベッドに待機させておいたティッシュで手を拭ってからアイマスクを取る。
夜伽光は顔出しをしていない。本人含めもう一人のカウンセラーも全員、イラストを使用している。
そのため夜伽光の顔を知っているのは、スタッフ同士や取引関係がある者を除けば対面で施術を受けたクライアントのみだ。
しかし、本人たちをモデルにしてデザインしたと担当イラストレーターが公言しているため、おおよその傾向を推し量ることは出来る。
夜伽光は、黒髪に襟足が長めの短髪、穏やかそうな容貌、理知的な雰囲気を助長させる眼鏡と白衣が特徴である、好青年な風貌のデザインだ。
崎山は人間不信を患っているが、何故か夜伽光の声はすんなりと受け入れることが出来た。
自分を拾いあげてくれた現在の上司にすら、仕事上の信用をおくまでには数年かかったというのに。
「……何故だろうな」
暗い部屋をぼんやりと眺めながら、崎山は独りごちる。
「……会ってみたい」
世の中で一番信のおけない存在である成人男性でありながら、自分をここまでハマらせた人物に。
……何故か、幼馴染みと声や話し方が似ている人物に。
崎山が夜伽光にここまでハマった理由。
それは、彼の声が崎山の心に無抵抗で入り込んだから、としか言いようがなかった。
夜伽光作品に出会ったのは、崎山が日々抱え込んでいたストレス発散が日々の筋トレではまかないきれなくなってきた頃だった。
インターネットでヒーリングミュージックなどを手当たり次第に検索していたとき、【睡眠用ASMR】というジャンルに出会った。
そのジャンルを聞き漁り、たどりついたのが夜伽光率いる【夜伽ヒプノセラピー】だったのだ。
これまでは人間の囁き声が入っているASMRを聞くときは必ず女性のものだけを聞くようにしていた。
【夜伽ヒプノセラピー】も女性のセラピストがいたため、当初は彼女の作品だけを聞いていた。だがある日、手元が狂ってしまい夜伽光の作品を開いてしまった。
慌ててアプリごと閉じようと思い画面をタップする寸前、その声がイヤホンから流れ込んできたのだ。
『はじめまして、こんにちは、こんばんわ。夜伽光です』
それは、まるで作りたての羽毛布団のように、柔らかく聴者を包み込もうとしてくる。
低すぎもなく、高すぎもなく、聞く者の耳に心地よく入り込んでくるテノールボイス。
理由も分からないまま夜伽光の声に惹かれ、彼の作品を聞き漁る日々が続いた。
睡眠ASMR作品を全て聞き終えてしまった頃、もっと彼の声を聞きたいという一心で、R18音声にも手を出してしまったのだ。
最初はシチュエーションボイスだった。女性向けの内容で、聴者は仕事に忙殺されるOLとなり、家で帰りを待っていた同棲中の優しい彼氏にひたすらに甘やかされ癒やしを得る、というものだ。
バイノーラル収録されたそれはかなりの臨場感を伴っており、耳を舐められたり唇にキスされたり、或いはベッドでのセックスシーンで立つ音などが、聴者の興奮を誘う作りになっていた。
『ああ……すごいな、ここ。すっげえ濡れてんじゃん。たくさん気持ちよくなってる証拠だな。……何? イキそう? いいぜ、イッても。好きなだけイッて、今日あったイヤなこと、全部ぜーんぶ吹っ飛ばしちまえ』
この台詞を聞いた瞬間、崎山の体にぶわりと、言い知れぬ何かが駆け巡っていった。
どこか懐かしいような、嬉しいような、どんな感情の種類なのか、判別がつかない。
だが確実に、インターネットに置かれていたどこの誰なのかも分からない男の音声作品で、崎山は人生でほぼ初めてに等しい性的興奮を覚えたのだ。
そこからは坂を転げ落ちるように、夜伽光の作品にのめり込んでいった。
長文レビュアーになったのもこの頃からだ。
他人に心の脆い部分を見せるなど絶対にしたくない。だが、一人きりになれるのが確約されている自宅で、夜伽光の作品で日々のストレスを癒やすぐらいならいいだろう。
その思いが、崎山を【夜伽ヒプノセラピー】のヘビーユーザーにしていったのだ。
シャワーを浴びた後、崎山はタブレットに向き合っていた。
夜伽光の対面カウンセリング予約フォームに、必要事項を入力していく。
最後に、コースを選ぶ。
対面カウンセリングは大まかに、「スリーピングセラピーコース」、「セクシャルセラピーコース」の二つがあり、予約日に対面で聞き取りをして施術の方向性を決める。
思わず崎山は緊張にたまった唾を飲み込んだ。
ここから先に進んでしまうと、元に戻れない気がしていた。
夜伽光の正体など考えることなく、彼の紡ぎ出す声と物語にただただ没頭していた頃に。
どくどくと脈打つ心臓と震える指先を抑えながら、崎山は最後の扉を開けてしまった。
この決断が、後にどのようなことが起こるのか。誰にも分かりはしなかった。
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