Case.1 あの声でトカゲ食らうかホトトギス *

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「えっ」 窓ガラスから日光が差し込む事務室のパソコンで、その男は驚きに声を上げた。 見ている画面は夜伽光の対面カウンセリング予約の依頼送信メール。 依頼人の名前を見た瞬間、男はブルーライトカットグラスの位置をずれてもいないのに直してしまったほどだ。 「どうしたんですか?」 自分と同じくセラピストである女性に声をかけられ、男は「何でもない」と答える。 そして、再び画面に目を戻した。 依頼人の名は「崎山 充」。 同姓同名の他人でなければ、昨晩、偶然の再会を果たした幼馴染み――男が長年溜め続けた恋情とそれに付属した執着を持っている相手――だ。 「……マジかぁ……」 光貴は予約依頼フォームから送られてきた事項を読んだ後、眼鏡を外し眉間を揉む。 昨晩、本当に、本当に偶然再会した崎山充は、光貴の想像とは全く違った成長を遂げていた。 彼の幼い頃は二歳年下である自分よりも背が低く華奢で、雰囲気も見た目もタンポポのようにふわふわしていた。 引っ越し前もそれは変わらず、剣道をやっていた自分の方が逞しかったくらいだ。 だが現在は自分よりも頭半分ほどは背が高く、体格も見た目にはそれなりのものに見えた。 恐らく彼の父の遺伝子が目覚めたのかもしれないが、相当に努力をして自分を鍛え上げたのだろう。 顔つきもかなり変化していた。昨晩、話している最中は穏やかなものだったが、普段は相当険しい表情を作っているのかもしれない。眉間に縦皺がくっきりと刻まれているのが、都会のネオンの光だけでも視認できたほどだ。 まさしく威風堂々、厳格が服を着て歩いているような男性に成長していた。見た目だけであれば、だが……。 しかし、恐らく色恋や性的なことには興味を持てないだろう彼が、知ってか知らずか自分を指名して予約をしてきた。睡眠改善を図る「スリーピングセラピーコース」もあるというのに。 もう一つのコースである「セクシャルセラピーコース」は、セクシャルの名の通り、性的な悩みを抱えている人に向けたコースである。 もし崎山が相談予約するにしてもそちらではない、と光貴が思い込んでいたのもある。それぐらい、予約フォームを見た瞬間に自身の目を疑ったのだ。 おまけに、彼ら【夜伽ヒプノセラピー】がコンテンツ販売サイトで頒布している作品全てにレビューを付けているユーザーであると、サイトのユーザーIDも付記されていた。 そのユーザーは事務所内で、熱心な夜伽光ファンなのだと認識されていた。光貴自身もありがたいことだと思っている。 だがその人物が、まさか自分の初恋にして片思い相手だとは思ってもいなかったのだ。 オフィスチェアにもたれかかり、腕を組み、唸りながら数分考え込む。 希望通り自分が担当するか、それとも同僚女性に割り振るか。 所長の唸りにうるさいと、金髪の青年が顔を上げたとき、光貴は女性に顔を向けていた。 「……まりあさん」 光貴は戸惑いがちに女性を呼ぶ。 「はい?」 まりあは自身のパソコンから、左側の光貴の席に顔を向ける。 「……あの、ちょっとこの依頼人なんですけど」 言ってから、まりあに対して手招きする。 彼女は不思議そうにしながら、立ち上がって彼のパソコンの画面をのぞき込んだ。 「……この依頼人、まりあさんの担当に出来ません?」 言われ、まりあはさらりと流れ落ちた絹の黒髪を耳にかけながら答える。 「この方、光貴先生の熱心なファンの方じゃないですか。担当してさしあげたらいいのに」 「うん、いや、そうなんだけどね……」 「何か問題でも?」 「……もしかしたら、幼馴染みかもしれなくてさぁ……」 「あら」 それが本当なら、ちょっとお互いやりにくいかもしれないですね。とまりあは理解を示す。 「こちらの判断で担当を変えることもあるだろう? こいつはちょっと……ワケありでさ。だから、予約の時点で俺を指名してきてても、まりあさんの担当にこちらで変えることも出来ると思ってね……」 「あら? でもこの方、先生の作品を全部聞き漁ってる方じゃないですか」 「ああ……」 備考欄を見たのか、まりあは崎山があのヘビーユーザーだと認識したようだった。 その時、青年が声を上げる。 「いいんじゃないんですか、夜伽先生が担当したって」 「いや、まあ……」 「ワケありなのに先生の熱心ファンになって、しまいには対面セラピーを指名してくるって、よっぽどだと思うんですけど」 予約申請を見たのか、青年も崎山を認識したようだった。 うーん……、と頭を抱え始めた光貴に、まりあが妥協案を示す。 「ひとまずヒアリングをしてみて、先生自身が担当するのが不適当だと思ったら、私が交代しますよ」 その言葉に、光貴は深いため息をつく。だが予約受理の作業を始めた。 まりあに交代するなり、スリーピングコースに変更するなり、選択肢はいくつかあるか……と、ある意味妥協した結果であった。 この妥協。後に彼は心の中で誰にも言わずひっそりと思ったのだ。 〝棚からぼた餅とはこのことだったのだな〟……と。
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