Case.2 問い声よければ、いらえ声よい *

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「……ふー……」 ばたん、とレストルームのドアが閉まってから、光貴はソファーにいったん身を沈め長いため息をついた。 完全に売り言葉に買い言葉であった自覚はある。 だが、ああも言われてはカウンセラーとしてのプライドに関わる。 男としての欲もあるのは確かだ。 正直なところカウンセラー・夜伽光としては、あまり催眠音声、特に性に関わるものに依存はしてほしくないとは思っている。 だが、一個人の工藤光貴としてはある意味チャンスなのではないか、という気持ちがないわけではない。 「……まあ、仕方ないよな……。だってあいつは知らないんだもんな」 誰にも聞かせるつもりのない独り言を呟く。 「……俺が、充に対してはあのクソ野郎と同じ穴の狢だなんて」 光貴は崎山に、恋情と執着に伴う劣情も持っている。この年で未だに特定の相手がいないのもそのせいだ。 そんな自分が、懸想をしている相手本人にセクシャルセラピーコースを施すなど、彼の過去を知っている身としては恐ろしくてたまらない。 眼鏡を外し、片手で目元を覆う。 冷静にならなければ、と思うほど、白衣とベッドに焚きしめてあるイランイランの香りが邪魔をする。 (……くそ、) スリーピングコースで妥協してくれれば良かったのに、と思わないでもない。 事実、クライエントとの面談でコースを変えることはあるからだ。 極度のストレスを抱え込んだ人間がカウンセリングに頼るのは、この現代において決して珍しいことでも忌避されることでもない。 体と心の健康を保つことこそが、生きる上で大事なファクターの一つなのだから。 とはいえ、ストレスの発散として快楽だけに逃げ続けるのもバランスが悪い。 まずは夜伽光の作品がなくともぐっすり眠れる状態になれるよう試みるもの悪くはないのでは、と光貴は思った。 だからこそ、スリーピングコースで健康な眠りに入れるような暗示を施してみようかとも思ったのだ。 だが、崎山はそれをかたくなに拒んだ。 睡眠改善でどうなるものでもないと思っているのだろう。 「……はぁ……」 また深いため息をついて、光貴は眉間を揉んだ。 ひとまず目の前の仕事に集中しよう、と気持ちを切り替えることにした。 その仕事が、自分にとっては苦行にも似た時間であろうとも。
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