翡翠のかんざし

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翡翠のかんざし

久しぶりの中街である。 夫の奕震イーチェンが行方知れずになる前は、時折2人で抜け出して、庶民の生活を垣間見ることもあった。 宮女だった頃に後宮内のいざこざで追放処分になったときも、まずは中街の質屋で資金をつくり、計画を練ったものだ。 「あの時は、奕震イーチェンがすぐ迎えに来てくれたんだっけ」 行方知れずになり、数年。つとめて明るく振る舞っているが正直まだ慣れない。頼りない新皇帝の息子がいなければ、この国だってなんだって放り出して探しに行きたいぐらいだ。 「いったいどこに行ってしまったのかしらね」 この国は広い。当てもなく探すには時間も体力も足りない。自分が中枢を離れても息子が傀儡にならぬよう、誰の息もかかっていない善良で、芯の強い子が息子の花嫁としていてくれたらいいのになと思った。 いつのまにか奕震イーチェンと辿った川沿いの道に来ていた。小梅シャオメイと川のほとりに座っていたら肉餅ロウビンを食べていたら、奕震イーチェンが迎えに来たんだっけ。裾を風に靡かせて、少しムッとしたような顔で、ふわり白檀の香りがして。 その方向に目をやると歩いてくる派手な娘がいた。少しムッとした顔で、何かを握りしめながら。気になってよく見れば、それは見覚えのあるかんざしだった。 「模造品…じゃないわよね…」 あれは、北峰の国から産出された翡翠で彫刻も特殊なものだ。何より母の形見でもある。何年か前に息子がなくしたと言ってきて、まあ、物はいつかは失われるから仕方ないと思っていたけれど、こんなところで再会するとは。 「あの…」 「返して!」 香水のぷんぷんする女に話しかけようとしたら、もう1人若い娘が駆け寄ってきた。 「ああん?」 派手な女はこれ以上ないほどに顔を歪めて、若い娘を見下した。 「返してってなんだい!こっちは何ヶ月もあんたに家賃を滞納されてるんだよ。返してってのはこっちのセリフだよ」 若い娘は息を切らしながらも頭を下げる。 「ごめんなさい!本当に悪いと思っています…でもそれは大事な物なんです」 「白露バイルー!食うにも事欠いて家賃も払えない。子供もかかえてんのに装飾品の方が大事かい」 白露バイルーと呼ばれた若い娘は俯き、両の手はギュッと溢れそうな涙を拭えない。 「とにかく、こいつは売って家賃に補填させてもらうよ!」 「…お願いっ…必ず数日で用意しますから…」 押し問答する2人にの間に、雲泪ユンレイは口を挟んだ。 「かわいそうじゃないか、金なら私が払うよ」 派手な女性は雲泪ユンレイを上から下までジローっとみて鼻で笑った。 「あんたに払えんのかい」 雲泪ユンレイの格好は装飾もなく、質素である。つまりボロい。しかし金ならある。 「いくらだい!この子の借金は私が返すよ」 懐の小袋はずしりと重い。女に言われた通りの額を払うと、女は白露バイルーに翡翠のかんざしを渡し去っていった。 白露バイルーは渡されたかんざしを雲泪ユンレイの手に押し付ける。その手は小さく震えている。 「…これを…」 「いいよ、あんたの大事なものなんだろ」 白露バイルーの大きな瞳から再び宝石のように、ポロポロと涙があふれている。 「でも…おかみさんの言う通りなんです…わたし装飾品なんて持てる立場じゃない…ふさわしくない…」 雲泪ユンレイは嗚咽する背中を撫でた。物には執着がないタイプなので母の形見だとしても数奇な運命の原因だとしても、翡翠のかんざしは無ければ無いで良かった。 こんなに大事に思ってる誰かがいるなら、彼女のもとにあってもいい。いやあるべきだ。 「私はいいんだよ、あんたが持つにふさわしいよ」 渡そうとする手を押し留める。 「では!必ずお金を用意して返します!それで無くては私はふさわしくないです。それまで持っていてくれませんか」 「あんた私に預けて心配じゃないのかい?」 「だって私の家賃を払ってくれた恩人ですよ、追い出されたら私はともかく子供たちが雨風に打たれてしまう」 雲泪ユンレイはなんだか彼女が心配になった。 「あんた今までの滞納分は今払ったけど、これからどうするんだい」 「仕事を探します…実は首になってしまって…」 聞けば、薬屋で働いていたが、そこの息子に気に入られてしまい無碍にしていたら不当に解雇されてしまったそうだ。 「私も実家は薬屋だったんだよ」 「そうなんですか!?私もです…でも継母に実家は乗っ取られてしまって」 「私もだよ!それで遠い田舎のジジイに嫁にやられそうになってね…逃げ出したんだよ」 雲泪ユンレイの言葉に白露バイルーは目を丸くした。 「まあ!私もです!」 雲泪ユンレイはいよいよ彼女を助けたくなった。 「働き口を紹介するよ、なあに衣食住にはことかかない」 「でも私には子供がいて」 「大丈夫、子供も連れて3食昼寝付きだよ」 白露バイルーの涙はすっかり晴れ、大輪の花が綻んだかのような笑顔が浮かぶ。雲泪ユンレイは息子の嫁探しなどすっかり忘れ、白露バイルーの家に向かうのだった。
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