第二話 夜会での出会い

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第二話 夜会での出会い

「奥様! そろそろ夜会に行かれませんと!」 「はあ……もうっ! お父様じゃないのだから、おまえまでうるさくしないで、サリー!」  リオーネは数人がかりでドレスを着付けしてくれている侍女たちを鏡越しに一瞥する。  黒狼の獣人のサリーは40代でリオーネの母親の代から仕えてくれている。他にもそういった者たちは多く、今夜は16歳になる新人のメリッサがお付きとして同行する予定だ。  メリッサは金髪が豊かな碧眼の美少女で、黒いイブニングドレスを見に纏っている。目立たない仕立てだが、壁際においておけば人形が立っているかのように見えるくらい、奇麗な面立ちをしていた。  対してリオーネは23歳。  黒髪に鳶色の瞳と帝国貴族にしては珍しい、東方の外見でこれは銀髪碧眼が多い帝国貴族のなかでは目立つ。身長も騎士を務める男性ほどにあるため、三番目の夫からはなるべく高いヒールのある靴は履かないように、と小言を受けていた。  いまエスコートしてくれる男性がいないため、リオーネは誰からもうるさくされる謂れがない。  薄手のベージュピンクのイブニングドレスに黒を基調としたヒールを履けば、高身長の未亡人のできあがりだ。  どんな奥手な独身男性だって、いまのリオーネを見れば誰も声をかけてこないに違いない。  帝国の貴族男性はその多くが古臭い体面を気にする。  男より背丈で目立つ妻や女性を連れてダンスに挑めば、それだけで笑いものになってしまい、恥をかく事だろう。  だから、リオーネはヒールの高い靴を履き、めんどくさい連中が羽虫のようにやってこないことを計画した。 「髪のセットはこれで良し、胸元のコサージュは目立たないようにしてね……メリッサは会場でバッグを盗まれないように。リストの方々の顔と名前は暗記したわね?」 「はい――っ、サリー様。すべて記憶しました」 「ぬかりがないと良いのだけれど……伯爵様がお出ましになるのだから。気を引き締めてかかりなさい、いいこと?」 「はいっ!」  サリーの一括に、初めて舞踏会に参加する若い少女は気を引き締めたようだ。それまで嬉しさに緩んでいた顔が、一気に引き締まる。 「あのね、サリー。女伯爵だから」 「どちらでも当家の主に違いありません! 奥様こそ、気を引き締めて! 五年越しに王城に参るのですよ!」 「‥‥‥陛下には毎年、年明けに挨拶に参っているわ」 「それはそれ、今夜は皇帝陛下主催の舞踏会です! それに……」  サリーはまだ鏡台の前に座って自分の出来栄えを確認しているリオーネにそっと話しかける。 「今夜は、陛下の弟君。第二皇子ライオネル様が婚約者を探されるパーティーだともっぱらの噂です」 「ああ、それね。噂だから。気にしてないわ」  侍女のひとりが持ってきたフルーツの盛り付けから丸くて大きなブドウを一粒取り、リオーネは口元に運ぶ。果汁がドレスにつきでもしたらサリーの怒りが爆発するから、さっと丸のみにした。  すると、侍女は「ああもう……どうしてこんなにはしたない――いいえ、男性的な……」と顔に手を当てて天を仰ぐのだ。  淑女らしくない、と言いたいようだった。  仕えて間もないメリッサは主人の大胆さに、あんぐりと口元を開けて二粒目が丸呑みされるのを見守っている。  三つ目に行こうとしてようやくサリーの制止が飛んだ。 「奥様!」 「いいこと、サリー。今夜呼ばれた趣旨はそこではないわ。この伯爵領の納税額はここ五年間で右肩上がり。それを陛下が認めて下さり、褒章してくださるの。だから行くのよ。間違えないで」 「東部戦線の最前線であるここモンテファン伯爵がグリザイア王国との主戦場にならなかったのが、良かっただけではないですか」 「おかげで海峡を通じての交易が封鎖され、我が伯爵領から王国へと貿易が盛んになったからよ。ほら、話は終わり。メリッサ、行くわよ」 「はい、奥様!」  少女を後ろに連れてリオーネは待たせてあった馬車に乗り込む。屋敷では魔法による冷房が完備だったのに、この場所ではあまり冷房が効いていない。婦人が肉体を冷やさないようにとの業者側の計らいかもしれないが、背中をじんわりと伝う汗を感じるのはあまり心地の良いものではない。 「奥様、今夜はきちんとアテンドしますから!」  と、メリッサはやる気に満ちていて、まだ年若い彼女は一筋の汗も額ににじませていない。 「そうね。この五年間で代替わりされた貴賓のかたがたも大勢いらっしゃるから――あなたに任せたわ、メリッサ」 「はい!」  勉強熱心な侍女は、手元のバッグから薄い魔石版を取り出し、写真つきの来賓のリストを上から下まで眇めていた。  リオーネは会場が暑すぎた際、自分で涼を取ろうと思ってスカートのポケットに幾つか忍ばせていた小ぶりの魔石を取り出し、魔力を注ぐ。  数分後、車内は快適な温度に保たれていた。 「モンテファン女伯爵、今夜はよくきてくれた。領地の改革と経営、うまくいっているようで何よりだ。御夫君たちが身罷られたさいにはどうしたものか、と案じていたが……頑張ったな」  御年60歳を超える皇帝ラングドシャは孫を褒める祖父のように優しい笑みでリオーネの快挙を労わった。 「陛下にお褒めのあずかり恐悦至極でございます」 「今後とも良き領主になるように励むように」 「はい、陛下の御心に沿えるよう善処いたします」  舞踏会が始まりを告げた。  皇帝は重要な来賓から挨拶を受ける。  壇上にある彼の隣には皇后が座り、その左右に皇子や王女、大公たちといった国の皇室の面々が連なる。  現皇帝の異母弟であり、もっとも歳の離れた唯一の親族。  皇弟ライオネル・エイデアはその列にはいなかった。  彼は皇帝を守る近衛騎士より一歩だけ近い距離で、兄帝の護衛を勤めていたからだ。帝位を譲る気はなく、かといって帝室のなかで皇帝の弟として優遇する素振りも見せない。  貴賓席を訪れた来賓たちは、皇帝ラングドシャが実弟を愛するわけでもなくかといって冷遇するわけでもない、微妙な立場に置いていることに驚いたことだろう。  それはリオーネも同じで、帝室における難しい兄弟関係を知らないメリッサなどは、状況に際して驚きを隠せずにずっと俯いていたほどだ。 「軍神様が……あんな扱いなんて」  と、メリッサは舞踏会の会場の片隅で小ぶりなグラスをかたむける女主人に、苛立ちを隠さない。  ライオネル・エイデアは21歳。10歳のころから戦場に立ち、帝国の守り神である戦女神ラフィネの認めた聖騎士として、多くの戦場で功績を挙げてきた軍人だ。低国民は彼のことを畏怖と敬意を込めて軍神と呼ぶ。  ライオネルあっての帝国、と考える民も少なくない。メリッサはその典型で「殿下にもお考えがあるのよ」とリオーネが諫めても憤りを隠さないでいた。 「だって……ライオネル様、微笑みかけてくださいましたし」 「あら、そう。良かったわね」  皇弟は眉目秀麗、あだ名のごとく戦神が降臨したといわれても疑わないほどの、美男子だ。涼やかな目元に怜悧な苔色の瞳、短く刈り込んだ銀髪とあいまって今夜参列した婦女子の視線を虜にしてしまうだろう。  しかし――リオーネにはどうでも良かった。 「奥様だって――。陛下からお褒めの言葉をあずかったときに、にっこりと」 「挨拶されたから、微笑み返しただけよ。いつまでも浮かれていないで仕事をしなさい」 「はい……」  手にした扇子で自身を扇ぎながらリオーネが一瞥した先には、こちらに向かってくる老夫婦が見えていた。  あれは、西のエプソナ大公様だったかしら、とメリッサは脳裏で来賓リストをめくって照合する。 「エプソナ大公閣下ご夫妻です」 「知っているわ」  仕事が遅い、と袖なくされたメリッサは、だから女公爵のままなのよ、と胸内でぼやく。エプソナ大公夫妻は、真っ白なイブニングドレス姿の一人の少女を連れてこちらにやってきた。
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