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第四話 皇弟殿下ライオネル
「なにをしていらっしゃるのかな、演奏よりもこちらのやり取りの方に人目が向いているようだが?」
「ライオネル様……」
「皇弟殿下」
いきなりの皇族の登場に、会場の一角はざわめき立ち、騒然となる。
慌てて儀礼と取るリオーネや周囲の貴族たち。彼等とは対照的に、己の立場を忘れてしまったかミネルバは呆然となってライオネルの顔を見つめたままだ。
「ミネルバ様!」
とリオーネが小さくしかるように言うと、はっと自分を取り戻した彼女は慌てて取り繕うように礼をする。
スカートの裾を抑え、膝を折るもどことなくぎこちない。
――ああ、この子。ライオネル様に恋をされているんだわ。
と、恋愛沙汰に疎いリオーネですらもミネルバの態度の変わりように驚くばかりだ。
うまく取りなしてあげるべきか、と思ったのも束の間。
ミネルバが言い出したのは、感謝どころか批難の声だった。
「こ、こちらの婦人が――、女伯爵という身分を盾にして、男性方が賢明に努力された功績を横取りしようとしていたので――ちゅ、注意……していたのです!」
「注意? モンテファン女伯爵の挙げられた業績は陛下が認められたものだ。それに異議を唱えるなど、陛下に盾突くにも等しい行いだが……どちらの令嬢か?」
「あ、いえ――これは、その……同伴者のいない未亡人にはこの場は相応しくないと思うのです。殿下はいかがお考えでしょうか? 女伯爵などと……男性よりも目立とうとするなど、女性であることへの侮辱にも等しいと思います」
「はあ……女性が社会進出し、さまざまな分野で活躍している事実を踏まえてそうおっしゃるのか? 貴女は?」
ライオネルに宮廷の侍従がこっそりとなにかを耳打ちする。
それはどうやら、ミネルバの正体を教えたようだった。
「わ、わたくしはラフィネの教えを守っただけ……ですわ」
「聖女様の家系では、女性は男性に従うべし、と教えているのかな? 女には男よりも価値がない、と言われているように聞こえるが。アーバンクル公女ミネルバ殿」
「ラフィネはそう思し召しです!」
「なるほど」
戦女神ラフィネの名を出され、女神の聖騎士でもあるライオネルは苦笑する。
聖女と大神官、聖騎士にはラフィネの神託や意志が伝わることがあるのだが、女神はいつも女の価値を下げる社会は駄目だ、と嘆いていたからだ。しかし、神託は皇帝と大神官、聖女にのみ伝わると公然ではされているから、それは間違いだと言外に否定はできなかった。
「現に、帝国も伯爵とは名乗らせず、『女』と前につけて呼んでいるではありませんか!」
「それも陛下の思し召しだが、差別だと?」
からかうように伝えるとさすがに皇帝批判になると考えたのか、ミネルバは大きく首を振った。
「いいえ、いいえ! 違います、そんなことは申しておりません! 女と殿方には公式にも序列がある、とそう申したいのです」
「申したところで、貴女になんの利点があるのだ、アーバンクル公女殿」
「それは――あ、貴方様が微笑まれるから……」
ミネルバは反論できず言い淀む。最後は消え入りそうな声で答え、側にいたリオーネに聞こえた程度でライオネルには届かなかったに違いない。
「ミネルバ様、あなた……」
自分が気になる意中の男性が、他の女に――それもこれまで何度も結婚と死別を繰り返してきた未亡人に笑みを振りまいたとなれば、確かにそれは気に入らないはずだ。
「それは、なんだ? なにかいいたいことがあるなら、述べていい。ミネルバ嬢」
なるほど、とリオーネがひとり納得する中でミネルバはやり場のない怒りに苛まれ、自暴自棄になってしまう。
「あ、貴方が――!」
「僕がなにか?」
「‥‥‥貴方様が、こんな未亡人を庇うだなんて!」
「庇う?」
「はっ……! こ、これは違っ――」
閉じた扇子を持ち上げて自分を指し示す勢いは強く、言い放ったあとでミネルバ本人が失言に気づく始末だった。しかし、口にした言葉はもう戻らない。呑み込めないからミネルバは猛進するしか道が無かった。たとえその先が行き止まりの崖っぷちになっていても。
「冷血皇弟様が熱を上げられるなんて! 血の通っていない殿方ですらも、虜にするなんて未亡人はこれだから浅ましいわね!」
「浅ましい……? 女伯爵閣下がか?」
「え、ええ。そうですわ! 殿下も彼女の色香に囚われて物事の是非が見えていらっしゃらない御様子! どうかその目を醒ましていただきたいものですわ!」
リオーネの魅力に惑わされている。
そういいたてられてライオネルが良い顔をするはずがない。
「い、いうに事欠いて、色香? 貴女、いい加減になさい!」
彼の顔が静かに曇っていく。だが、明確に反論しないのには理由があった。
アーバンクル公爵家と女神神殿、帝室の間に妙な揉め事を持ち込みたくないのだ。
皇族同士、さらに聖女の血筋と末弟という立場の弱さも相まってのことだろう。
これが現皇帝ラングドシャの息子である皇太子や皇女であればまた話は違った。
しかし、ライオネルの帝室における立場は限りなく弱い。
それはあの挨拶の檀上で彼が立っていた場所から判別可能なものだ。
だからこそ、ミネルバも発言に歯止めが利かなくなっている――ここは誰かが悪者にならなければ、当事者全員がなにがしかの刑罰を受ける可能性だって出てしまう。
ミネルバひとりにすべてがのしかかるなら放置するが、彼女だって今ここにはいないエプソナ大公夫妻の可愛い孫娘だ。
大公がもし出てきたら、リオーネの旗色は一気に悪くなるだろう。
関係者の中でもっとも公的な立場が強いのは誰か――。それは伯爵とはいえ領地を治めることを許されているリオーネに他ならない。伯爵家当主として認めらえている権限も社会的な立場も、他の追随を許さないものだ。
リオーネは自分に対する誹謗中傷は許せるが、ライオネルに対するそれは許せない。
「殿下、わたしなどを庇われては、お名前に傷がつきます! おやめください」
「君は……」
ライオネルはそれまで黙っていたリオーネの意外な言葉に驚き、ミネルバへの厳しい視線が揺らぐ。
「そしてミネルバ様、いい加減にしなさい。殿下に対してそのような無礼な振る舞いは許しませんよ!」
「はっ? 女伯爵ごときがこのわたしに指示などできるとでも思っているの? 身の程を知りなさい!」
「そう。貴女は幼いのね。子供には罰が必要かしら?」
「なっ――!」
手に嵌めていたレースの長手袋をするりと抜いたリオーネは、それでもってミネルバの頬をはたいたのだ。
てのひらないだけ痛みや痕は残らない。だが、突然の応酬に強気なミネルバの手が出ようとしたそのとき――。
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