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第八話 突然の来訪
しかし、メリッサは最後まで残りたいと残念がる。
「え、奥様。最後まで……花火があるのに」
「なら、貴女は終わりまでいていいわ。屋敷から迎えをこさせるから」
「いえ、いいえ! そんな――そんな贅沢、申しません。すいません、奥様」
「別にいいのよ。出会いは大事だから」
ちらりと視線を先ほどのテーブルにやると、そこではまだ数名の令息たちがメリッサの戻りを待っているようだった。
だけど、と愚痴るように言ってしまう。
「身分には気を付けなさい。貴女は当家の召使なのだから。夢を見るのはいいけれどね」
「そんな――奥様……ひどい」
貴女のためよ。そう言い残してメリッサを会場に置いたまま、リオーネは屋敷に向かう馬車に乗り込む。
自由に恋愛ができる侍女を羨ましく感じ、つい八つ当たりしてしまった自分自身を情けなく感じた。
翌週。
「約束通り、迎えにきた」
「は――?」
玄関先に帝室の馬車がつけられたと慌てて報告してきた家令に出迎えさせる。
やってきたのは先週、愛を交わした相手ライオネルだった。
「正装していないのに、こんな格好で御使者の前に出られるわけないでしょ!」
「いいから奥様、お早く! お着換えを済ませてください!」
皇帝への目通りが叶い、重要な儀式を終えたリオーネは、東部にある領地へと戻る仕度に追われて忙しくしていた。
貴婦人が着るようなドレスではなく、趣味でやっている園芸に適したズボンとシャツという、労働者のような格好をしていたからだ。
貴族は馬車に乗る。魔導列車にも乗る。
でも自動車には乗らない。便利なのに、格式を重んじる古い時代に生きる彼らは、風をその身に受けて滑走するオープンカーの楽しさを理解できない。
同じく市民の女性はズボンを履く。オフィスでは女性用のパンツスーツだって流行っている。
でも貴族はそうはいかない。
特に女伯爵が街娘のような格好をしていたと知られれば、いい笑い者だ。
なによりも上っ面の体面を重んじる帝都貴族の気風は、自由奔放な東部で生まれ育ったリオーネには苦手だった。
侍女数人がかりでコルセットを締め、髪を梳かれひっつめて固められ、上等な来客に応じるときだけに身に着けるグレーのドレスに袖を通す。
もし、愛妾として呼び出しを受けるならば目立たない辻馬車などでも仕立てると思っていたのに、ライオネル自身が帝室の御使いとしてやってくるのは予想外だった。
応接間に通された彼は、丁寧に織られたリネン素材が美しい卵色のベージュのスーツに身を包んでいた。
胸板が厚く背丈もある彼が着ると、どことなく窮屈さを感じさせるのは、軍人として鍛え上げられた肉体あってのものだろうか。
テーブル越しのソファーに座りながら、あの腕に抱かれたのだ、とそっと視線を這わせる。
ごつごつとした指先、剣を握りしめているからだろう。
あの指に秘孔を撫でられいじられたと思うと、途端に肉体が彼を意識してしまう。
触れられる切なさに身をよじるたびに滴り落ちる愛液は増した。
――あっ。
じゅん、と下半身が濡れたのを感じた。
あのとき、ライオネルは少しずつリオーネから溢れる蜜を指さきで受けとめ、すくいあげて花弁に塗り込んだ。
なかなか濡れない秘部を割る指先が滑らかに動かず、困った顔をしていた記憶が蘇る。
――つまり、ライオネル様って女性を知らないってことはなかったってことよね。相手は誰? あの女騎士三人組の誰かかしら?
などと邪推をしてしまい、彼のこれまでの恋愛経験が気になってしまう。いや、心を開いたことはなかったといっていたから、肉体関係だけということも――……。
「今日はいきなり押しかけて済まない、女伯爵」
「え、いいえ。陛下の御使者様をお待たせしてしまい、申し訳ございません」
素っ気ない態度で社交の場で使う顔を作り、薄っぺらい笑みを浮かべる。
「あ、ああ。連絡が遅くなりこちらこそ申し訳ない」
リオーネがあの夜に見せた姿とは似ても似つかない態度に、ライオネルは面食らった。
自分がなにが不手際を晒したのか、と焦るがこういう交渉事には慣れているのだろう、表情までは崩さずに会話を続けた。
「本日伺ったのは他でもない。先日の夜会で陛下の謹言を賜ったため、それを代理としてお伝えにきました」
「陛下のお言葉……?」
応接室にはサリー以下、家令や侍従たちが揃っている。
家人総出で使者を出迎えるのは、貴族の栄誉だ。
列の端には夜会の花火を見て満足しもどったメリッサの姿もあり、彼女はライオネルを見知っているからどんな言葉が飛び出すのだろう、とごくりと喉を鳴らす。
「単刀直入に申し上げると、陛下は私と女伯爵殿の結婚を命じられた」
「けっ――」
「こちらが勅書となります。御確認を」
分厚い白梳きの紙、帝室の紋章が透かしで入った文書には、秀麗な筆跡で皇帝の詔が記されていた。
モンテファン女伯爵と第二皇子ライオネルの婚姻を認め、帝室と伯爵家の家同士の結婚を許諾する内容
――もう逃げられない、とリオーネはなにか圧迫したものを心に感じた。
「リオーネ、僕は言葉を違えない。君とともに幸せになれる最善の道を選んだつもりだ。どうか拝受してもらいたい」
否定などできない。
するならば、この帝国に居場所は無くなる。
王国へと亡命するほか、生きながらえる方法は選択肢は限られてくる。
「結婚……」
家人たちの列から安堵と喜びの声が漏れてくる。
みんな、リオーネが女主人としてやっていくことを不安に感じていたし、男性優位の貴族社会では主人が大変だろうと心配してくれていたのだ。
そこに皇帝の勅令が下る。
相手は皇弟殿下だ。
モンテファン伯爵家はこれで帝室と縁続きになる。
家は末代に渡って安泰だと保証されたようなものだ。
喜ばないはずがない。
「ああ、そうだ。いまはまず、婚約からで構わない。式の準備には時間がかかるものだ」
「そっ、そうですわね。え、ええ……」
あの夜を過ごすんじゃなかった。
一夜の過ちが自分を危機へと追い込んでしまっている。
どうして一時の感情に流されて彼に身を委ねたのか。
――いいや、違う。あの夜に間違いは犯してない。少なくとも、好きだと感じたことは嘘じゃなかった。
自分の欺瞞を否定する。
強く否定する。間違いじゃない。でも、判断を誤ったのは事実だ。
結婚はまずい。もう三度も失敗している――結婚は……。
「不安だと感じているかもしれない。だが、陛下の許可が出たのだ。どうかこれで納得して欲しい」
迷ったように視線を彷徨わせるリオーネが不安なのだと思ったライオネルは、それを打ち消すようにいった。
でもリオーネが求めている答えはそこにはない。
「三度、死んでいるのです。わたし」
ぽつり、とそんな言葉を発してしまう。
それは事実で真実だ。でもライオネルや家人たちはそうは受け取らない。
夫を死なせてしまい、その都度、人生をやり直してきた。
そういう意味に受け止めたからだ。
「四度目はないようにする! いや、君より先には死なないように――僕には戦女神ラフィネの恩寵がある……」
――その恩寵、あれだけ嫌がっていた癖に。どうしてここで持ち出すの……。
「はい。聖騎士様ですから、死とはほど遠いことでしょう。聖女様と等しく他よりも長い年月を過ごす、と聞いております」
「そうだ。君を置いて行ったりはしない……うん」
これまでの男性たちのようには、とライオネルは言おうとして言葉を濁す。
彼の言葉は心強い。
でも、ラフィネは助けてくれなかった。と、リオーネは心で女神の恩寵を否定する。
リオーネは死に戻りの過去を持っているからだ。
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