双六に人生あり

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 振り出しに戻るとかゴールという言葉は日常で見聞きする。一進一退どころか二進三という人生もあるのかもしれない。  大学時代、ふらりと立ち寄った路地裏の古書店の店主と話すようになった。       一進一退どころか二進三退という人生もあるのかもしれないと言ったのは、その古書店の店主。馬田であった当初は60歳前だった。  それから約3年。仕事が終わった私が外に出ると雪が舞っていた。天気予報通りだ。早く帰ろうと思い駅へ向かう途中で、喫茶店の窓辺に読書をしている男性がいた。とても真剣に本を開きページを捲る手を休めない。 「久しぶりに古書店に行ってみようか」  降り積もる事はなさそうだと思い、途中下車して古書店へ足を運んだ。  丸眼鏡で猫背、無地の白シャツに深緑のベストを上に下はいつも黒地か濃紺のスラックス。店主の渡世(とせ)さんは、ハタキをかけながら眼鏡の奥で目を細め私を見つめる。なぜか静かに微笑みながら言った。 「いらっしゃいませ。雪の舞うなかご利用いただき感謝致します。船野さん」  私は名前を記憶してくれていた事に感激し昂る気持ちを押さえながら言った。 「御無沙汰しております。お元気そうで良かったです」 「まぁ日々、生きております。スーツ姿とてもお似合いですよ」 「お似合いって初めて言われました。何か照れくさいです」 「どうぞごゆっくりと御覧下さいませ」  私はいつも、奥の棚から順に気になった本を手にして、丸卓とセットの椅子一脚あるスペースへと持って進んで行く。  先客はたいていいない。私の専用席のようなもの。申し訳ない気持ちになってしまう。  2.3回ほどの往復を繰り返して、奥から2列目の本棚の1番上の棚に『双六に人生あり』と背表紙に書かれた本を見つけた。薄暗い店内で見ても完全に黄ばみが分かる。  ちょうどその本を手にして歩いていたら、店主の渡世さんに声をかけられた。 「ほおぉ」  意外なリアクションに私は微笑む。この本が他の本と違うのだと直感した。 「良い本を見つけられましたね」 「近くの本と比較して黄ばみが多いのが気になって。タイトルにも魅かれましたね。双六なんていつやったのかも記憶にないですよ」  購入したくてレジの前に立つ。もう一冊と一緒に袋に入れてもらい1歩を踏み出した私。 「人生に変化があれば教えて下さいね」  そう言って雪が舞う店の軒先まで出て私を見送ってくれた。何度となく頭を下げて帰路に着く。  マンションに帰ると、ソファーに横になりたい気持ちを我慢してシャワーを浴びる。その後しばらく自炊していたので、今日はスーパーで購入してきた弁当で腹ごしらえ終了。  鞄の中から購入した本二冊をテーブルの上に置いた。『双六に人生あり』を自分の身体の前に持ってくる。真っ白い表紙が黄ばんでいるのが味があると思う。  文章が書いてあったのは2ページ目。タイトル表記のすぐ左脇に小さな文字の文章が並ぶ。   この本は貴方の人生に変化を与えます  良い変化なら良いけれど。悪すぎる変化は避けたい。普通に暮らしたい。一体この本を読んだらどうなるのだろう。期待とは裏腹に恐怖心も生まれてきている。  ページを捲る手のひらが熱っぽく指先にも静電気が軽く起こった気がする。いったん本を手から離しさえすれば、熱っぽさや静電気の感覚はない。この本を古書店で手にして読んでいる時には起こらなかった反応に首をかしげる。  本の内容は筆者が双六を行った記録を書いている。それを自分の人生と照らし合わせて自伝形式となっている。  筆者の自画像があって、その後に自分で遊んだ双六の写真や、手描きで描いた作品が3点ほど掲載されており、無地のページをはさみ、双六の歴史が書かれていた。  そうだったはずなのに。いきなり貴方のプロフィールを記入して下さいと書いてある。そんなページは古書店で読み流した時にはなかったはず。いつの間に出来たページだろう。  次のページには文章が並んでいて安心したのも数秒。コロンと小さなサイコロが転がってテーブルの角から床に落ちた。 「確か裏表紙はサイコロの絵だった」  見たらサイコロの絵がなかった。 「嘘だろ・・・・・・」  飛び出す絵本は知っている。でも絵本から飛び出すけれど実際には絵本から出ない。このサイコロは本を飛び出して現実の世界で転がる。   まずサイコロを拾って文章を読むと、筆者と私の乳児期の出来事が書いてある。そして熱を帯びたのも静電気も、私のデータを取り込む為だったとの説明もあった。  明らかに古書店で読み流した時と内容が変更になっている。私の乳児期の事など文章になかったはずだから。   さぁサイコロを振りましょう  指示通りにサイコロを転がし2マス進む。2マスは2ページと同じ扱いらしい。しかし私が2ページ目を読もうとしたら、パラパラとページが捲れて行った。筆者もサイコロを振って5マス進んだらしい。負けず嫌いの私は唇を噛みしめた。サイコロよ頼む‼  小学4年生のページで2マス戻った時点で筆者と5ページも差がついた。  1回休み。双六には1回休みがあったはず。子どもの頃、親戚の子たちとやった双六には会った。申し訳ないが筆者の1回休みを望む。  進んでは戻りの繰り返し。どうしても6が出ない。そんなものだろうか。  ページも戻る場合もあるけれど半分近くまで来た。筆者のサイコロはページの中で転がっている。  本のページも後半。早く眠りたい。明日も仕事だ。勝って良い眠りをしたい。  依然として筆者を追いかけている状態。まだまだこれから。サイコロよ頼む‼  私はガッツポーズを小さくした。筆者と漸く同じマスに進めた。これで同じになった。同じになってリスタートの気分。  しかし私は高校時代まで来てサイコロをギュッと握りしめた。高校時代の筆者は暮らしが順調だったのだろう。私は振る事を躊躇。   早く振って下さい  双六の真上、ページの上部に文字が浮き出した。振らなければ、振らなければ。  サイコロを振ったら2マス戻る。高校2年生の夏休みに数人の友達に誘われ悪さして謹慎。どうか2でも3でも良いから出てほしかった。このマスを飛び越えられなかったという事は、まだまだ反省が足りなかったから。不足しているから、しろと言われているのだろうか。  いよいよページも残り僅か。その時におかしなマス目に気づいた。そこだけが光っている。  明らかに怪しいマス目。そこには進みたくなかった。飛び越えたかったのに、まるで導かれるようにしてマス目へ。サイコロが細工されているかのような気になってきた。光るマスは2回休み。  ゴールを先にしたのは・・・・・・筆者だった。悔しくて悔しくて拳を握りしめていた。   本を閉じて枕元に置いてお眠り下さい  ゴールのページを敗者は開けないらしく、私がページを捲ろうとしたら、最終ページとノリで貼り付けられたようにくっついていた。  問題は最終ページに書かれていた筆者の言葉。  振出しに戻るとかゴールという言葉は日常で見聞きする。一進一退どころか二進三退という人生があるのかもしれない  まさかこの『双六に人生あり』の作者は店主の渡世さんなのでは? 「いらっしゃいませ、本日も御来店・・・・・・あぁどうでした?実は私は敗者と入れ替わって生きています。私は今から船野さんと人生を交換」  嫌だ!渡世さんと入れ替わるなんて。 「この本の筆者は、渡世さん貴方ですね」 「えぇ、私は古書店の店主でずっといるつもりはなかった。若い船野さんになりたくて本を購入するよう導きました」  走り逃げようとしても足が動かない。優しく微笑むことなく私をただただ見つめている渡世さん。  少しづつ渡世さんが私になる。私は自分が渡世さんになる姿をじっと我慢するしかなかった。  本をその場に落としてしまうとまた自分の手に戻って来てしまう。 「人生は双六。二進三退も一進一退になる事もある。つまり船野さんも再び誰かになれます。ここでその相手を見つけ本を教えてあげて下さい」  そう言って、私に姿を変えた渡世さんは古書店を出て行ってしまった。  私は普通にこの本を本棚に戻せた後は、入れ替わる相手を今日も探している。元の自分に戻りたいと思いながら。  『双六に人生あり』は新人生の始まりを告げる運命の一冊なのだろうか。            (了)
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