映画と音楽と食べ物

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映画と音楽と食べ物

多分。最初は映画なのだ。 ネバーエンディングストーリー。 いじめられっ子のバスチアンと、あたしは自分を重ねた。 ファルコンの背中に乗って仕返しをするシーンは、それまで生きてきて初めてのスカッとする感覚だった。 ファルコンの雄叫びといたずらっ子のような高笑いを、あたしにも届けて欲しかった。 最初の重苦しい色から次第に天使の梯子のような色合いに変わる画面を、食い入るように見詰めた。 グモルグの吠えるシーンでは怖くてクッションを被っていた。 哀しみの沼に沈むアトレーユの馬を観て、何度も泣いた。 実際の本ではバスチアンは太っちょのX脚だったけど、映画の細っこいバスチアンも先に観たせいか違和感がなかった。 ただ、成長するにしたがってあたし自身がややぽちゃになる過程で そして、繰り返し読むあの美しい緑とボルドーの文字の世界によって やっぱりあたしと同じX脚で太っちょで目が悪いバスチアンのほうが遙かに共感できて、かつ、憧れ、そして、途轍もなく羨ましかったのだけど。 あたしが深緑とボルドーの組み合わせが好きなのも、この本の影響なのかもしれない。 それはまた、別の話。 そして。 バスチアンが映画の中でマットに埋もれながら本を読み続けて齧る青りんごが、途轍もなく美味しそうだった。 今でも、某コンビニで売っている剥きリンゴは赤より青りんごが好きなのは、そのせいかもしれない、と密かに確信している。 それもまた、別の話。 あの映画の音楽を聴くと、今でも、切ないような、心細いような、それでいて心強いような、解放されたような、 不思議な気持ちになる。 それは、紛れもなく、あたしがあたし自身を意識したきっかけなのだ。 音楽の持つ不思議なチカラを実感した、初期の経験かもしれない。 それもまた、別の話。
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