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 わたしは車を降りると、冷たくて少し湿った夜気を吸い込んだ。緊張はしていない。これまで何年も繰り返してきた、わたしの仕事だ。 「……能島さん」  すると背後から、また井手が声をかけてきた。何かと思って振り返ると、彼はどこか迷うように言葉を濁したあとで、「無理はしないでくださいね」とだけ続けた。 「わかってる。マル対の車を確認したらすぐに戻るから」  わたしはそう笑顔を返し、歩き出した。足音は殺していたが、それでもつい早足になってしまう。  気を遣われている。それはわかっていた。わかっていても、不甲斐なさと苛立ちがこみ上げてくる。ついつい、足取りも早まる。  もちろん、誰も口には出さない。何事もなかったように、前と同じに遠慮なくこき使ってくれる。女であることなどお構いなしに、徹夜の張り込みも殺人現場の検証もねじ込んでくれる。  けれどかえって、それが同僚たちの気遣いであることを際立たせてしまう。わざと忙しくして、余計なことを考えずに済むようにしてくれているのだと。今回の井手のような新人の指導役も、本来はもっとベテランの役割であって、これもそんな気遣いのひとつだろう。もちろんそれはありがたいことではあるけれど、同時に不甲斐なさもこみ上げてきてしまうのだ。 「気になんかしてない……はずだったのに」  能島紫、二十九歳。警察学校を出て警視庁辰沼署に配属後、交通課と少年課を経て、念願の捜査一課強行犯係の一員となって四年。これまで順調な警察官人生を送ってきたはずだった。
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