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4話
心臓って破裂しないんだろうか。
そう心配になるくらい、ばっくんばっくんと暴れる心臓を少しでもなだめようと僕は服の上から手で押さえる。
けれど、全くもって効果はなく、刻一刻と迫るその時を前に治まるどころか酷くなる一方だった。
今日、千紘に「会いに行け」と言われた僕は、意を決して武田くんのバイト終わりを見計らってフェリーチェに来ていた。アイドルの出待ちよろしく、ビルの裏手にあるスタッフ用出入口のドアの横で待ち伏せをしている。
「すー、はー……」
緊張のあまり込み上げてくる吐き気を、深呼吸をしてやり過ごす。
待ち伏せをする僕を見て、武田くんはどう思うだろうか。会うのを拒まれているのにこんなことをして、迷惑じゃないだろうか。嫌われないだろうか。うざがられたらどうしよう。面と向かって「顔も見たくない」と拒絶されたらどうしよう。きっと立ち直れない。
僕の思考は、どんどんどんどんよくない方へと一人歩きしていく。
けど、何事も、勢いが大事だって言うし……。
もうここまで来たのだ、腹をくくるんだ。と僕は今にも逃げ出そうとする自分をどうにかこの場に留める。
自分自身と戦っている間に、運命の時はやってきた。
ガチャンと重たいドアが開き、制服姿の武田くんが現れる。
緊張は最高潮に達し、心臓が耳元で鳴っているみたいだ。
僕を捉えた武田くんの目が見開かれる。そして、つぎの瞬間には、その瞳に戸惑いの色が宿るのがわかった。
「相良くん……」
久しぶりに見た彼は、僕の記憶の中となにも変わらないのに、どこかよそよそしい態度に、遠い存在のように感じて寂しさを覚えた。
「お、お疲れ!」
早くも心が折れそうになるも、声を張り上げて踏ん張った。
「急にごめん。けど、どうしても会って話がしたくて……。駅に着くまででもいいから時間もらえないかな」
「……わかった。少しなら……」
「あ、ありがとう……!」
とりあえず、話してもらえることになった安堵にほっと胸をなでおろす。僕たちは並んで駅を目指す。
「あ、あのっ!」
だけど、スタッフ用出入口のある路地から、フェリーチェが面している大通りに出たところで誰かに呼び止められてしまった。
振り向いた先には、女子高生が一人。武田くんと同じ高校の制服を着て、真っ直ぐに武田くんを見つめていた。街灯の白い明かりの下でもわかるほどに頬を赤く染めて。
一瞬で、彼女が武田くんに想いを告げようとしていることがわかって、僕は気まずさと複雑さが交じったなんとも形容しがたい気持ちになる。
「武田先輩にお話があるんですけど……少しいいですか?」
ちら、と僕に向けられた彼女の目が、二人きりにして欲しいと言外に語る。それは、決して敵意とか嫌悪とかではなく、申し訳なさが籠った懇願だった。
「えっと……」
武田くんが困惑しているのがその声から伝わり、僕はどちらからも視線を逸らして俯いた。
どうしよう……。
きっと、ここは僕が引くべきなんだろうと頭ではわかっているのに、そうしたくない自分がいた。
今を逃したら、また会ってもらえるかどうか確証がないのも理由の一つだけれど、それよりも……。
もっと別の、ドロドロとしたよくない感情が僕を浸食していることに気付く。
もし今、彼女が武田くんに告白して、武田くんがそれを受け入れたら……?
そしたら、武田くんの優しさが、あの笑顔が、すべて彼女に向けられることになるんだ。一瞬でそれらのシーンが頭に浮かんで、胸に痛みを感じた。
そんなの……、そんなの……。
「――っ、武田くんは僕と約束があるからっ」
ごめんなさい!と彼女に謝って、僕はちょうど信号が青に変わったのをいいことに、武田くんの腕を掴んで歩き出した。
「さ、相良くん⁉ ――あ、ごめんね、また学校で会ったら声かけて!」
彼女に対して優しい声をかける武田くんに、なぜか無性に腹が立つと同時に、そんな感情を持った自分に酷く戸惑う。
だって、僕は知らない。
こんなどす黒い、よくない感情を、知らない。
誰かの意思を無視して行動したのだって初めてだった。
得体のしれない焦燥感と、不安感、そしてこれまで感じたことのない気持ちに突き動かされるように、夢中で歩を進める。
「――良くん、相良くん、もう駅に着いちゃうよ」
武田くんの声にハッとして顔をあげれば、駅のロータリーが目に入り足が止まる。
しまった……。
ただでさえ徒歩で十分もかからない距離なのに、早足で駆けてしまった。――しかも無言のまま。
僕は馬鹿か。
どうしよう、これじゃぁ少しも話せないじゃないか。
「あっ、ご、ごめん」
僕はそこで初めて武田くんの腕をずっと掴みっぱなしだったことに気付いて、パッと手を離す。今更ながら自分がしでかしたことの大胆さに、羞恥で彼の顔を見れなかった。
「……ちょっとその辺に座って話そうか」
「え、いいの……? 時間大丈夫……?」
「大丈夫だよ」
「ありがとう」
武田くんはやっぱり優しい。
こんな突然アポなしで来て、可愛い女の子からの告白も邪魔した僕なんかにも時間を取ってくれるんだから。
ざわざわと落ち着きのなかった気持ちがじんわりと温かくなる。
僕は、武田くんに促されるようにして、ちょうど空いていた駅前のベンチに並んで腰かけた。
話ができるとほっとしたのはいいけど、今度はなにをどう話せばいいのか頭がこんがらがってきた。
気持ちばかりが焦って、言葉が出ない。歯がゆさに、僕は膝の上の手をぎゅっと握りしめる。
「なにも言わずにシフト変えてごめんね」
「えっ、あ……」
謝らなきゃいけないのは僕なのに。武田くんからの予期せぬ謝罪に面食らう。
「そ、それって、僕のせい……だよね?」
僕が、映画館で武田くんに誤解させるような酷い態度を取ってしまったから。
隣を見上げると、武田くんは思いつめたような表情で地面に視線を落としていた。僕もなんとなく、目の前の地面に目をやる。
僕は今日、武田くんに思っていることを伝えにきた。
目的を果たさなければならない、と腹をくくる。
「謝らなきゃなのは僕の方だよ。……その、映画館で避けちゃったのは、嫌だったからじゃないんだ」
「……え?」
視界の端で武田くんがこちらを見る。けれども、僕は恥ずかしくて気付かない振りをして続ける。
「は、恥ずかしくて! 映画館のペアシート、思ってたよりずっと距離が近くて、なんか急に恥ずかしくなって、思わず避けちゃっただけなんだ! 武田くんのこと傷つけるような態度取ってごめん!」
い、言えた……!
一息に言い切って、僕はちょっとした達成感に包まれる。
けれども、当の武田くんからの反応がなくて、僕は恐る恐る隣を見た。
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