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エピソード⑩
休憩を挟んだアヌビスは、次なる審判を執り行うため元の位置に戻って来た。
正直、憂鬱で仕方ない。
だが、これまでの経験で死者全てがあのような、不敬な者達ではない事も知っている。
実際に、何名もの死者を天国に向かわせもした。
あのような悪もいれば善もいる。
それを理解しているからこそ、アヌビスは冥界の主人として仕事を果たせるのである。
次なる死者は果たして――。
****
「死者、ターイル。貴女の魂が善か悪か? マアトの羽根と貴女の心臓を秤にかけます。よろしいですね?」
ターイルは何も言わずに俯くだけ。その様子に不自然さを覚えながらも、アヌビスは天秤を動かした。
「審判を下す。汝は失格である。アメミット」
アメミットが大口を開けた瞬間だった。ターイルは、突如奇声をあげた。その声に冥界の神々が驚いていると、ターイルが早口でまくし立てる。
「なんでなんでなんで? わたし悪くない悪くない悪くない! 良い子だもん! 何も悪い事してないもん!」
若いのは確かだが、少女と呼べる年齢ではない。ましてや、幼子でもあるまいに……ターイルは駄々をこね、終いには逆上し始めた。
「そもそも、何を基準にわたしが悪いんですか! 悪くないです!!」
怒りだし、癇癪を起こし喚くターイルに、アヌビスはまたかと頭を抱える。
死者からのクレーム、いや、モラハラが始まったのである。
「お祈り毎日捧げてました! お守りだって沢山買った! 大事にしてたもん!」
怒りの矛先が違うのだが……ターイルが気づく事はない。
「なのになんで? アヌビス様は馬鹿なの! わたしの事、ちゃんとみてないの! 赦せない! アヌビス様なんて嫌い! 大嫌い! 消えちゃえ! 馬鹿!」
最後の言葉は、もはや暴言でしかない。
しかも罵倒な上、自分の罪を認めない愚かさに……アヌビスはまたしても、天井を見上げた。
冥界の誰もが思っている。
また、厄介な者が来たのだと……。
何故最近こうも、矢継ぎ早にモラルのない死者が来るのか?
人間界の状況を、もはや憂いるまでにアヌビスはなり始めていた。
本来、アヌビスの仕事ではないが。
いや、元々の意味で言うならば、街の守護神としての側面も持つアヌビスなので、全く人間界と関わりがない訳ではない。
だが、冥界の主人としての側面が強くなっているがゆえに、守護神とは言え……全容を把握出来ていなくて当然であろう。
アヌビスは、静かに息を吐き……そして、非情である事を承知の上でこう告げた。
「汝の主張に応える道理はない。アメミット、喰らえ」
無駄な抵抗を試みるターイルだが、あっという間にアメミットに食われ、消滅したのだった――。
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