覚醒

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覚醒

「暑ぃなあ……」  先を歩く大和の歩みは少し速い。拓人は離れないよう後をついて歩いた。 「このクソ暑い中、ホントご苦労だよな」  工事中のビルを見上げて大和が足を止めた。鳶職たちが足場を組んでいるところだった。  社会人二年目の白井大和は夏季休暇を取り、三つ下の幼馴染の大学生、皆川拓人を映画に誘った。子供の頃から仲が良く、大人になった今もこうして付き合いは続いている。二人は駅までの道を歩いていた。  大和が足を止めたので拓人も追いつき、立ち止まってビルを見上げた。すると何か大きな光るものが頭上から落下してくるのが拓人の目に映った。 「大和!」  思わず叫んで大和の身体を両手で押した。大和が尻餅をついた。同時に大きな金属音がして地面に落下したそれが跳ね返り、拓人の左脚に当たった。足場材を足場の建地に固定するための金具だった。 「拓人!」  大和は立ち上がり、脚を押さえて倒れ込んだ拓人のそばに駆け寄った。拓人のズボンの膝から下は裂けて、脛から折れた骨が突き出し、流血していた。  鳶職たちが真っ青な顔をして大丈夫ですかと駆け寄ってきた。 「大丈夫なわけねぇだろ!おい、救急車!」  大和は頭に来てそう叫んだ。鳶職の一人が119番通報をした。 「拓人、すぐ救急車来るからな?ジッとしてろよ?」  拓人の上半身をそっと抱き起こすと、大和はそう言った。 「大和は……大丈夫だった?」  拓人が真っ青な顔をしながらそう訊いてきたので、俺はなんともない、ごめんな俺のためにこんな怪我させて……そう言って拓人をそっと抱きしめた。  救急搬送された先で大まかな検査をし、拓人はそのまま手術になった。手術室に入った拓人を見送り、大和は拓人の母親の美佳子に連絡を入れ状況を説明した。すぐに向かうと美佳子は言った。 「ごめん。俺のせいで拓人に怪我させて……」  そう告げると美佳子は笑って、大和くんに何かあったら拓人がおかしくなるわよ、拓人で良かったのよ、命に別状なさそうだしと言った。着くまで拓人のことお願いね、そう言って通話は切れた。  1時間半ほどで手術は終わった。終える頃には美佳子も病院に到着していた。入院手続きや入院に必要なものを揃えるためバタバタしている美佳子に、大和は俺が拓人のそばについてるから慌てずにゆっくり準備してと言った。  手術から丸一日は個室に入ることになった。麻酔から醒めず青白い顔をしてベッドに横たわる拓人の頬を、大和はそっと撫でた。  子供の頃からずっと一緒にいるはずなのに、大和は拓人を懐かしく思うことがある。何故だかはわからないが、たまらなく懐かしい気持ちになるのだ。それでなのかは定かではないが、拓人のことが誰よりも大切だった。物心ついた頃からごく自然にスキンシップをしていた。周りが引くくらいだった。ある程度の年齢になり、人前で拓人に触れることは控えるようになったが、それでも二人きりのときはハグをしたり髪や頬を優しく撫でた。拓人はそのたびに戸惑ったような顔をしたが、嫌がる素振りはなかった。  いつものように頬を撫でていると、拓人の閉じられた目から涙が流れた。麻酔が切れかけて傷が痛むのかと大和は思った。 「ユウダイ……」  拓人の唇から声が洩れた。閉じられていた瞼が震えて細く開いた。 「拓人?気がついた?」  大和が声を掛けると、拓人はぼんやりとした目をして大和を見つめた。 「ここは……?」 「病院。俺を庇って脚を怪我して、手術したんだよ。無事に終わったって先生が言ってた」 「そう……」  大和はナースコールを押した。どうされましたかとスピーカーから声がしたので、目が覚めましたと大和が告げると、程なくして男性看護師がやって来た。背が高くガッシリとした体格のいい看護師だった。 「皆川さん、ご気分はいかがですか?」 「大丈夫です」 「痛みますか?痛むようなら痛み止めを注射しますが」 「ちょっと……痛みます。打ってもらえますか?」  わかりました、準備して来ます、看護師はそう告げると一旦病室を離れ、戻って処置をしてくれた。 「少し眠気が来ます。何かあればまたナースコールを。今晩は1時間おきに看護師が様子を見に伺うので、安心して寝んでください」  そう告げるとでは失礼しますと言って看護師は病室を後にした。 「大和……ありがと」  拓人がそう言って微笑んだ。 「ずっとそばにいてくれたんでしょ?」 「ああ……そんなこと気にすんな。俺のほうこそありがとう。拓人がいなかったら俺、アレが直撃して大怪我するとこだった」  大和はそう言ってまた拓人の頬をそっと撫でた。すると拓人の手が伸びてきて、大和の手をそっと包み込んで微笑んだ。 「大和の手……あったかい……」  拓人の反応に大和は戸惑った。これまでも嫌がることはなかったが、こんなふうに受け入れられたのは初めてだった。 「ああ……少し眠くなってきちゃった。眠ってもいい?」 「うん。美佳子さんも来てるから。今、手続きしたりいろいろしてる。先生からの話もあるだろし。落ち着くまではそばにいるから」  ありがとう、そう言って拓人が目を閉じた。大和の手を掴んだまま寝息を立て始めた拓人の手を、そっと布団の中に収めてやった。  寂れた神社の裏手まで、二人はやって来た。ここには人が滅多に来ない。大事な話があると幼馴染の雄大に言われて、尊は嫌な予感しかしなかった。  徴兵検査で甲種だったと告げられ、尊は言葉が出なかった。生まれつき左脚が不自由で杖をついて歩いている尊も徴兵検査を受けたが、結果は丁種で徴兵を免れた。学徒出陣でまもなく出征することになる、雄大はそう言った。  おめでとうございますとはとても言えなかった。学生たちを戦場に送り出さねばならぬほど日本軍の戦況は悪化しており、そう遠くない将来、日本はこの戦争に負けると尊は思っていた。しかしとてもそんなことを言える空気感ではなかった。口に出せば非国民扱いを受けるに決まっていた。 「お国のために、戦ってくる」  雄大はそう言って微笑んだ。寂しそうな笑顔だった。雄大もわかっているのだ。この戦争は負け戦だと。  尊は雄大に歩み寄り、雄大の身体に触れた。今まで抑えてきた気持ちが溢れ出し、気づけば雄大にしがみつくように背中に腕を回していた。 「こんなこと言ったらいけないってわかってる。でも……」  背の高い雄大の胸に顔を埋めて、尊は言った。 「必ず帰って来て。無駄死にはしないで。もうすぐこの戦争は終わる。だからお願い……生きて帰って来て……」 「尊……」  雄大もそっと尊を抱きしめ返した。  目が醒めると夜中の2時を回っていた。うつらうつらするたびに拓人は妙にリアルな夢を見た。不思議な感覚だった。夢の中の自分は尊という名前で、時代は太平洋戦争末期。夢の中で思っていたとおり、やがて日本は敗戦する。雄大と呼んでいた背の高い男性は、尊にとってとても大切な人。失いたくない人。尊は徴兵を免れたが、雄大は学徒出陣で出征する。夢なのに胸が引き裂かれるような気持ちになり、涙が溢れて止まらなくなった。  傷口は痛んだが、痛み止めを打つとどうしてもうつらうつらしてしまう。夢の続きをまた見るのが怖かった。  病室の扉がそっと開き、懐中電灯の灯りが床を照らした。 「皆川さん、眠れませんか?痛みますか?」  夜勤の看護師がそう声を掛けてきた。 「痛み止めを打ちましょうか?」 「痛むけど……眠るのが怖い。怖い夢を見るから」 「わかりました。我慢できそうになかったら、いつでもナースコールを」  そう言うと看護師は出て行った。  傷口は痛んだし眠気の来る痛み止めも拒んだが、それでもいつのまにか眠りに落ちていて、拓人はまた夢を見た。  陸軍の学徒兵として出征した雄大は南太平洋前線に送られた。一年後に雄大の実家の五島家に戦死広報が届いた。出征後、わずか三ヶ月での戦死だった。戦死広報が遅れて届くのは既に日常化していた。  尊の実家は花岡織物という毛織物の工場を営んでおり、そこの番頭が雄大の父親だった関係で、雄大の戦死は尊にも伝えられた。尊は嘆き悲しんだ。悲しみのあまり尊の心が壊れた頃、日本は敗戦。二年後、尊は病死した。心が壊れまともな食事も摂らず衰弱していた上、流行病に罹患した。雄大の戦死から三年後のことだった。  頬に触れる掌の感触で、拓人は目を醒ました。大和の姿があった。 「起こしたけどよく眠ってたから、朝飯スキップしたって看護師さんが言ってた。昼はちゃんと食えよ?」  時計を見ると11時近かった。 「また来てくれたの?大和、夏休みいつまでだっけ?」 「20日まで。ああ、夏休み終わっても毎日見舞いに来るから」  大人しく控えめな拓人のことだから、そんなのいいよ、俺のことは気にしないでと言われるかと思っていたが、予想に反して拓人は嬉しいと言った。 「大和が毎日ここに来てくれるなんて……嬉しい」  そう言ってまた、頬に触れていた大和の手をそっと掌で包み込んだ。 「なんかあった?」  大和がそう尋ねた。 「どうして?」 「いや……なんかいつもの拓人じゃないみたいだから」  ふふっと笑って拓人は言った。 「うん。俺……ちょっと変わったかも」  目をつぶって拓人は微笑んだ。 「大和に触れられるの……嬉しいし、心地いい」  大和は心拍数が跳ね上がるのを感じ、拓人の頬に触れていた手を引っ込めた。  そうこうしていると昼食の配膳が始まった。内臓の手術ではなかったので、普通食が出た。 「病院食にしちゃ美味そうじゃん!ちゃんと食ってるとこ見届けるからな」  そう言いながら丸椅子に腰掛けると、電動ベッドを起こしてやった。六割がた食べて、もうお腹いっぱいだと拓人が言った。動いてないからそんなにお腹も空かないし、そう言って箸を置いた。 「大和はお昼はもう食べたの?」 「そういやまだだったわ。売店でなんか買って、ここで食ってもいい?」 「うん」 「じゃあ行ってくるわ。なんか欲しいもんある?」 「ミネラルウォーター、2〜3本買って来てくれると助かる」 「了解」  売店で惣菜パンと飲み物を選び、頼まれていたミネラルウォーターもカゴに入れ、レジに並んだ。  大和に触れられるの……嬉しいし、心地いい……。  先ほどの拓人の言葉を反芻し、大和は赤くなった。そんなことを言われたのは初めてだったし、変わったかもと本人も言っていた。拓人に何があったのだろうかと思った。
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