スキンシップ

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スキンシップ

 翌日から拓人は4床室に移った。夜になると相変わらずリアルな夢を見続け、拓人は次第にこれは夢ではないのだと認識するようになった。前世というものが存在するのなら、夢ではなくその頃の記憶が蘇ってきているのだ。自然にそのように受け止めた。  生まれつき足が不自由な尊は生まれる前の自分で、戦火に散った雄大は大和の過去世。そう考えると懐かしく胸がいっぱいになった。前世では同い年だった二人だったが、自分と大和は今は三つ歳が離れている。先に雄大が亡くなったことを考えると腑に落ちた。雄大との子供の頃の記憶も鮮明に思い出された。二人は兄弟以上に仲が良く、いつも一緒だった。抱きしめ合うのが精一杯だったが、気持ちは通い合っていた。雄大の戦死を知り心が壊れてしまって以降の尊の記憶は朧げで、はっきりしない。毎日泣き暮らしていたことだけは憶えている。    夏休みが終わっても、約束どおり大和は毎日、仕事を定時で上がり拓人の病室を訪れた。4床室に移ってからも大和は人目を忍んで拓人の髪や頬に触れた。そのたび拓人は幸せそうな顔をして微笑んだ。大和は拓人の笑顔を見るたび、なぜなのかまた堪らなく懐かしい気持ちになった。離床して車椅子での移動が可能になると、大和は車椅子を押して病棟内を回った。デイルームに行くことが多かった。  その日は土曜で大和の仕事はなく、午後一番で拓人の病室を訪れ、車椅子を押して屋上に行った。まだ暑さは続いていたが、少しずつ空気が秋のそれになっていくのを二人は感じた。 「大和」  車椅子をベンチの端に止め、並んで座っていると、拓人が言った。 「大和は……昔のこと、憶えてる?」 「昔のこと?ガキの頃の話?」  そう言われて、拓人は少し寂しそうな顔してから微笑んだ。子供の頃の話ではなく、もっとずっと昔の話がしたかった。 「うん……」 「拓人が俺の真似して高いところに上がって降りられなくなったこととか?おじさんが脚立持ってきて助け出してくれたよなあ」  懐かしそうに笑いながら大和がそう言うと拓人も笑った。 「そんなこともあったね。大和まで一緒に父さんに叱られてさ」 「そうだったな。おじさんに拓人の手本になるようなことしろって叱られたな」  急にガキの頃の話なんてどうしたのと大和が訊くと、ちょっとねと言って拓人は笑った。 「たまには昔話するのも楽しいかなって」  病室に戻ると拓人の妹の春風が来ていた。 「大和にぃ、毎日来てくれてありがとう」  春風が笑顔でそう言った。 「お父さんもお母さんもお店が忙しくて。なかなかお兄ちゃんのところに行けないから助かるって言ってる」  拓人の両親はお好み焼き店を経営しており、春風も大学が終わると手伝いをしていることは大和も知っている。 「春風も大変だな。夏休み中も手伝ってるの?」 「うん、こき使われてる」  春風が笑って言った。 「でもしっかりバイト代もらってるから」  そう言って拓人のほうに顔を向けると、大きなトートバッグを窓際に置いて話しかけた。 「お兄ちゃん、着替え持ってきたからね。ここに置いておくから、後で看護師さんに言っていいようにしてもらって?」 「ありがとう。店のほうは大丈夫なの?」 「うーん。土曜だし掻き入れどきだし、そろそろ戻ろうかな」  腕時計に目をやり春風はそう言った。 「じゃあ大和にぃも適当に切り上げて帰ってね。お兄ちゃんの相手ばっかしてると、彼女が寂しがるよ?」  茶目っ気たっぷりに春風がそう言うと、大和は笑って言った。 「残念ながらそんな相手いないのよ。俺は寂しい独りモン!」 「またまたあ!大和にぃが結構モテるの、私、知ってるんだよ?子供の頃バレンタインにチョコいっぱいもらってたし」 「いつの話だよそれ?」  大和が笑ってそう訊くと、今でもモテるでしょ、大和にぃにその気がないだけでさと春風は言った。 「じゃあ私、帰るね。お兄ちゃんもあんまり大和にぃの時間奪っちゃダメだよ?」  そう言って風のように去って行った。 「アイツ、いつの間にあんな生意気な口きくようになったんだか……」  大和が笑ってそう言った。 「春風ももう19だからね。……大和」 「ん?」 「前から気になってたけど……どうして彼女、作らないの?」 「面倒くせーし。それに……」  大和は少し考え込むような顔をしてから言った。 「拓人と一緒にいるほうが落ち着くし、楽しいし」  振り向いて車椅子のハンドルにかかっていた大和の手に掌を重ねると、拓人は幸せそうに笑って言った。 「俺も。大和といると落ち着くし安心する……」  あの事故以来、拓人は明らかに変わったと大和は思った。自分に対して遠慮がなくなったし、スキンシップにも積極的になった。  そんなことを考えていると、男性看護師がやってきた。背が高くガッシリしており、それでいて細やかで頼りになりそうな看護師だった。 「皆川さん、毎日お見舞いに来てくれるお友達がいてよかったですね。患者さんの最大の敵は暇な時間ですから」 「ホントにそうですね」  拓人が笑って言った。  ベッドに戻られますか?と訊かれて、拓人はいえまだと言いながら春風が届けてくれたトートバッグを指差した。 「ああ西松さん、それ着替えです」 「わかりました。ロッカーに入れておきましょう。明日、清拭の時に着替えましょうか」  西松と呼ばれた男性看護師は微笑んでそう言うとロッカーにバッグを収めた。明日は日曜で検査も何もないので暇だと思いますがと言いながら、ちらりと大和の顔を見た。 「明日も来ます。拓人のことよろしくお願いします」  大和はそう言って頭を下げた。西松は微笑んで、では僕はこれでと言って病室を後にした。  大和は車椅子を押してデイルームに移動した。長く病室にいると同室の患者の迷惑になると思った。 「あの看護師さん、優しいな」  自販機でコーヒーを買い一本を拓人に手渡すと、大和がぽつりと言った。 「西松さん?うん、優しいし気が利くし、話もよく聞いてくれるし、いい看護師さんだよ」 「いいなあ」 「何が?」 「いや……一日、拓人の世話してやれて、そばにいられてさ」  ふふっと拓人が笑った 「なんだよ、何がおかしいんだよ?」 「ううん、ごめん。ヤキモチ妬いてるみたいで、可愛いなって」  大和は赤くなって、別にヤキモチなんかじゃと言いながら椅子を引いて腰掛けた。 「大和、まだ帰らなくていいの?」  16時半を回っていた。 「そうだな、拓人がメシ食ってるとこ見てから帰るわ」 「夕食までまだだいぶ時間あるけど……」 「拓人が帰れって言うなら帰るけど?」  大和がそう言うと、拓人は首を横に振って微笑んだ。 「帰ってなんて言うわけないでしょ。ここが病院じゃなかったら、泊まって行ってほしいくらいなのに」  大和はまた赤くなった。  拓人が夕食を食べ終えて落ち着いたところで、大和はじゃあまた明日と言って病室を後にした。帰宅すると食事の用意があり、ダイニングで食べた。  母親の香澄が拓人くん調子はどう?と訊いてきたので、うん元気だよと答えた。 「先生の話だと、あとひと月くらいで退院できるんじゃないかって。美佳子さんがそう言ってた」 「そう。大和に怪我がなかったのは拓人くんのおかげね。大和だったらと思うと……ゾッとするわ」 「ホントだよ。あんなモンが降ってくるなんて考えて歩いてないからな。アレが直撃してたら、大怪我どころかあの世行きだったかもしれない」  大和はしみじみそう言った。食事を続けていると、玄関が開く音がした。 「駿平?ご飯……」  香澄がそう声を掛けると、駿平は食べてきたと言って冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで飲んだ。 「食ってくるなら母さんに言って行けよ」  五つ下の弟を嗜めるように大和は言った。 「用意するのだって大変なんだし、どうせ明日の朝になってもお前、食う気ないんだろ?」 「いちいちうるさいな。兄貴、小姑か?」  コップを流しで濯ぎながら駿平はそう言うと、さっさと二階の自室に引き上げて行った。 「19にもなって反抗期かよ……」  ため息をついて大和が言うと、いいのよいつものことだからと香澄は苦笑して言った。 「昔からどうして駿平は、大和にああやって突っかかるのかしら……兄弟なのにライバル視してる感じね」  それは大和も薄々感じていたことだった。最近の駿平はそれが顕著だったが、心当たりはあった。拓人の妹の春風のことだ。春風と駿平は同い年で、高校まで同じ学校だった。駿平が春風に恋心を抱いていることはわかっていたが、何やら春風が大和のことを好きだと駿平は思っているらしい。どこをどうしたらそういうことになるのかわからなかったが、とにかく駿平は大和に敵意剥き出しなのだ。 「まあ、いろいろあるお年頃ってことか」  大和はそう言って苦笑した。  翌日の日曜も、大和は拓人の病室を訪れた。昼食を終えた後だった。午前中に清拭をして着替えさせてもらった、さっぱりしたと拓人は笑って言った。 「日曜の病院って、時間の流れがゆっくり。先生の回診もないし検査もないし。大和が来てくれるまで退屈だった」 「外の空気吸いに屋上まで行く?中庭でもいいし」 「屋上に行きたいかな」  ナースコールを押して看護師を呼び、介助を受けてベッドから車椅子に移乗し、エレベーターホールで箱が上がってくるのを待った。 「大和」 「ん?」  睫毛ついてる、拓人が指摘すると大和は顔を擦った。 「そっちじゃなくて……取ってあげる」  大和が顔を近づけると、思いがけず拓人が頬にキスをしてきた。大和の心臓が跳ね上がった。 「ん、取れた」  拓人が笑ってそう言った。すると後ろから皆川さんと声が掛かった。看護師の西松だった。 「屋上ですか?」 「はい、外の風に当たりたくて」  拓人がそう言うとエレベーターのランプが光り、メロディが流れて扉が開いた。 「いってらっしゃい」  西松は微笑んでそう言った。  屋上に出てベンチの端に車椅子を止め、二人は並んで座った。 「さっきの……」  大和がそう言った。 「ん?」 「ホントに睫毛ついてたの?」  ふふっと笑って拓人が言った。 「もしついてなかったら?」 「……西松さんに見られたかも」  大和が気にしてそう言うと、西松さんなら大丈夫、拓人は微笑んだ。 「西松さんは口が硬いし。それに……いろいろ聞いてもらってるし」 「何を?」  はぐらかすように笑って拓人は言った。 「ん?……まあいろいろね」 「拓人がああいうことするの……初めてだな」  ぽつりと大和が言った。 「……嫌だった?」  いや、そんなことない。そんなことないけど……大和はそう言って拓人の顔を見つめた。 「拓人、変わったよな。あの事故以来」 「かもね」 「何か……変わるような何か、あった?」 「大和のことが、前よりもっと大事になった。……それだけ」  拓人が微笑んだ。 「だから大和に触れられるの嬉しいし、俺からも触れたくなった。……ダメ?」 「いや……ダメじゃない。むしろ嬉しい」  退院したらもっと触れ合いたいなと拓人は言った。大和は顔を赤くした。
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