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数日後、江西によって、わたしは喫茶店に呼び出された。
江西は出会った時のように、礼儀正しく頭を下げて、優しい眼差しをわたしに向ける。
松原親子は逮捕され、その周辺でもいろいろ変動があったらしいが、わたしの日常は壊れたままだ。
「あなたはもしかして、最初から分かっていたの?」
コーヒーで口を湿らせたわたしは、自分の想像が当たっていればいいという、願望を込めて江西に訊く。
江西の方は、わたしをじっと見つめて、雨のようにぽつりと漏らした。
「前提が違います。怪異を引き起こしていたのは、松原サリナの方なのですから」
あぁ、やっぱり。
「彼女には恐らく、霊能力の素質があったのでしょう。周囲に責任転嫁する性格が災いして、彼女自身の生霊が怪異となってしまったのです。最初は些細な失敗を、明理さんのせいにしていたのでしょうが、生み出した怪異が、大勢の人間の負の感情も取り込み始めて、制御不能の怪物となってしまいました」
「それで解決方法が、私心を捨てて、社会に尽くすことなのね」
「はい、そうです。ですが、彼女自身だけではなく、その場にいた人間すべてが変わらないと、この怪異は消滅しません」
その場にいた人間すべてには、わたしも含まれているのかしら?
「それがいいわ。このまま放置して、娘のような犠牲者が出るなんて、まっぴら御免よ」
「……あなたも、じつはうすうす気づいていたのですね?」
問いかける江西対して、わたしは顔を伏せた。
「ねぇ、アメリカではイジメの加害者に対して、感情をコントロールするトレーニングや、カウンセリングが行われるそうですよ。つまり、イジメを行う側は、頭がおかしい異常者なのよっ! 明理がっ、うちの娘がっ! 悪霊になったなんてありえないっ! 悪霊になって呪って祟って、そんなイジメみたいな姑息な手段で復讐するほど、あの子は弱くなかった! あの子はっ! あの子はっ!! あの子はっ!!!」
「えぇ、明理さんは強い子です。私に分かりますとも」
江西に宥められて、ゆるゆると脱力したわたしは、修繕された雨樋のことを思い出した。
あの雨樋は修繕されたけど、継ぎ手が新しく取り換えられて、壊れる前の姿に戻ったわけではない。
わたしもそうやって、日常を修復していくのだろうか。
夫が死んだ時のように、そして次は、あの子がいない日常を。
「安心してください。止まない雨はないのですから。あなたの娘さんは、イジメに負けませんでした。今世に恨みを残すことなく、空へと還っていきましたよ」
江西の言葉に、わたしは泣きたくなった。
こうもあっさりと成仏したのなら、雨樋が壊れたタイミングはただの偶然でしかない。
「本当にバカな子よ、親の気も知らないで。負けていなくても、勝ってもいないじゃない。逃げていれば、生きていれば、楽しいことがたくさんあったはずのにっ……」
わたしはずっと雨が降ることを、加害者たちが永遠に苦しむことを望んでいたのに、ただ今だけは、青空が見たいと願ってしまった。
【了】
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