スイシン

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スイシン

 会いたい。  もう一度、会いたい。  今日だけは運命を信じたかった。  満月の晩に実行できる、子供じみたおまじない。  滑り止めマットを敷いて洗面器に水を張り、水面にあなたの顔が映るのを、私は今か今かと待っている。 ◆  数時間前。  住職の丸い背中をぼんやりと眺めながら、水元(みずもと)アキラは自分の感情を必死に抑え込んだ。少しでも気が緩めば、子供のように泣きわめき収拾がつかなくなってしまう。  故人(こじん)の遺影の前で、それだけは避けたかった。  死んだと頭では分かっているものの、それがあまりにも突然すぎて、そして異常すぎて、悪い夢でも見ているのかもしれないという希望を抱くほどに、心がずっと悲鳴を上げている。 『どうやったら、あんな風に人間の身体をバラバラにできるんだ』 『状況的に密室なのは間違いないが……。これじゃあ、遺された家族は浮かばれないな』 『施設側も頭を抱えているみたいですね。事故で片付けるにしろ風評被害は免れないでしょう』  なんで、どうして……?  正座した(ひざ)に爪を食い込ませて、みじめに肩を震わせているのが、今の自分である現実。  隣で神妙に頭を下げている妹二人は、同情の視線を長女(アキラ)に向け、化粧を施した顔を白く強張らせながら、この苦行(くぎょう)が早く終わることを願っている。  本来ならば、自分たちは母の故郷である小笠原で、ささやかながら一周忌を上げることになっていた。  未だ健在である祖父母の顔を見て、父島にある母の墓に花を手向け、島寿司(しまずし)とピーマカをつまみ、小笠原ラムで舌をしめらせながら、母の思い出を懐かしもうとしていたのに、夫の英輔(えいすけ)と父の源蔵(げんぞう)が不可解な死を遂げたことで、一周忌は中止、祖父母も情報の断片から伝わる異様さに忌避感(きひかん)を示して、遺されたアキラと二人の妹たちは、()が重い後始末に奔走することになった。  けれど、これで、やっと終わる。  二人の密葬も終わって、父方の檀家寺(だんなでら)の住職を実家に呼び、お経を読んでもらって、これでひと段落。あとは遺品の整理と実家の処分だ。  アキラは泣き疲れた顔で、仏壇に向かってお経を上げる住職を眺めつつ、警察からの事情聴取で見せられた写真と、のおぞましさを思い出して、(べに)をつけていない唇に手を当てた。  あれは一体、どういうことなのだろうか。  惨劇の一部始終を収めた動画には、大きな鏡の前で立つ、英輔と源蔵の二人の身体が、一瞬でバラバラになる場面が収められていた。  見えない爆弾が爆発したかのような、すさまじい力で人体が木端微塵(こっぱみじん)になり、密室が血肉の海に沈む衝撃映像。  こんなにもハッキリと記録が残っているせいで、警察は事件と事故――どちらに捜査の焦点を絞ったらいいのか分からないと、アキラに零した。  長丁場(ながちょうば)になるかもしれない恐れは、無用なトラブルを恐れた施設側が、事故として処理したいと申し出たおかげで回避されたものの、を直接目にしてしまったアキラは、まるで生きたまま海に沈められた絶望感に苛まれ、仕事が手につかず、満足に眠ることも出来ず、なんとか今日まで、長女として、英輔の妻として役目を務め上げてきた。 「英輔さん、どうして」  本来なら、自分と英輔が死ぬはずだった。  スケジュール通りならば、自分たちは都内のホテルに一泊して、翌日には小笠原()きのフェリー乗り場で全員集合だったのに、職場からのヘルプに根負けした結果、アキラはその日の有休を取り消した。大急ぎで仕事を終わらせて深夜バスに乗り込み、ちょうどフェリー乗り場に着いた時に二人の死を知ったのだ。 「会いたい」  お経が終わり、身を起こす住職の姿に緊張の糸が切れる。  こらえていた感情が口をこじ開けて、蓄積された疲労が一気に全身にのしかかった。  なぜか天井が見えて、住職と妹たちの声が遠くに聞こえる。  自分が倒れたと気づいた時には、目の前が暗くなり、闇の果てで横たわる二人の残骸が、まぶたの裏で赤くチラついた。  
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