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「──でさぁ、『青海』と『青梅』を間違えるって、都民にとっちゃはベタベタなミスなわけよ。なのに俺、上京5年目にしてまんまと間違っちまってさ。しかも、気づいたのが集合時間5分前で、マジで焦ったっての!」
誕生日席で失敗談を語るノボルに、元クラスメイトたちが「やべぇ」「マジで?」「ノボルならやりそう」と様々なリアクションを見せている。
居酒屋の個室に、どんと陣取る長テーブル──沙帆とさつきは、その真ん中あたりに座っていた。ノボルとの会話にも加われるギリギリのポジションだったが、ふたりの話し相手はもっぱら隣席の女子2名だ。そのうちのひとりが、先ほどから「やばい」を連呼していた。
「やばい、ほんとやばい、ノボル完全に標準語だごど」
「なんで? なんかあったんだべか?」
「やっぱ、アレじゃね? 東京さ、女──」
そこまで言いかけたひとりが、ハッとしたように口をつぐむ。たぶん、沙帆に気を遣ってくれたのだろう。彼女が未だノボルに片想いをしていることは、仲間内では周知の事実なのだ。
「女──なんだべか」
うなだれる沙帆に、さつき以外のふたりが「いやいや」と慌てたように首を振った。
「まだそうと決まったわけじゃねぇべ」
「んだば、なして変わったじょよ」
少なくとも、前回帰省したときのノボルは、方言丸出しの喋り方だった。
それが、この半年ですっかり変わってしまったのだ。おそらく、何かしらのきっかけがあったはずだ。
「だば──アレだべ! 『社会人デビュー』的な?」
「んだ、たぶんそれだ!」
「つかノボル、ちょびっとかっこよくなった気しね?」
「だがーら! 東京モンっぽくなったからだべか」
盛りあがりはじめた会話には加わらず、沙帆はレモンサワーをちびりとすする。
東京モン──たしかに、そうだ。まさかの。ここにきて。上京5年目の、このタイミングで。
「で、沙帆はどうすっごど?」
「……へ?」
「とぼけんなじゃ。ここに来る前に宣言したべよ。『ノボルがイメチェンしだら、好きでいるのやめる』って」
さつきの冷やかしに、他のふたりが「ええっ」と声をあげた。
「なして? 本気で?」
「ついに、初恋ば『卒業』ってごど?」
「いんや、『卒業』ってより『中退』だべ」
「んだ、どっちかってと『中退』だ!」
笑い合う友人たちは、おそらく沙帆が本気で片想いをやめるとは思っていない。けれど、当人の胸中はかなり複雑だ。再会してから、ずっと同じ言葉が脳裏をぐるぐるまわっている。
(なして……なして?)
なぜ、彼は変わってしまったのか。この半年間で何があったのか。本当に「社会人デビュー」というものをしてしまったのか。
それとも、本当にまさか──
(嫌だ……やっぱり嫌だじゃ!)
沙帆は、レモンサワーのジョッキをテーブルに叩きつけた。
「へっ?」
「沙帆? なした?」
「はーもう終わりだ……中退するじゃ」
突然の沙帆の宣言に、3人は「えっ」「嘘だべ!?」と慌てだした。
「ごめん沙帆、さっきのは冗談だっけ!」
「知ってっから! 沙帆が中退できねぇの、わかってっから──」
「いんや、もう決めだ!」
自分が好きになったのは、中高時代の延長線上にある「ノボル」だ。あんな気取った喋り方をする男じゃない。
(そうだ……あんなカッコつけのことなんか知らん!)
となると、事前の宣言どおり、自分は9年間の「初恋」に別れを告げるしかない。
(へばな、ノボル)
へばな、片想い。
へばな、9年間。
へばな、私の「初恋」──
「にしても、ノボル、なーんか変わっだごどぉ!」
ふいに届いた大声に、沙帆はハッと誕生日席に目を向けた。
そこには、大柄な体躯をむりやり誕生日席に割り込ませた剛史がいた。おそらく、だいぶアルコールがまわっているのだろう──彼の顔は熟れたようにりんごのように赤い。
「なんだよ剛史、距離近ぇよ」
「うっせぇ」
「うっせぇじゃなくて……マジで狭いって」
ノボルは、苦笑しながら剛史の身体を押しやろうとしている。けれど、体格差のせいか剛史はびくとも動かない。それどころか、肩にまわした手で、ぐっとノボルを引き寄せようとする。
「ノボル、おめぇ……やっぱり変わっだごど」
「そんなこと……俺はぜんぜん……」
「いーや、変わった! 前のおめぇは、もっとダッセぇやつだっだ!」
「悪かったな、ダサくて」
「ほらそれ! その喋り方よ」
大きな目が、ぎょろりとノボルを一瞥した。
「なーんか気取ってて、オレは好きじゃねぇ」
「そんな、べつに気取ってるつもりは……」
「いーんや、気取ってらっ!」
ゴンッと、テーブルに拳を叩きつける音がした。
「なしておめぇは、こっちの言葉ば捨てたじょよ!」
酔っぱらいならではの、制御がまるできいていない大音量。
いつのまにか周囲は静まり、皆が何事かとばかりに誕生日席のふたりをうかがっている。
そのいくつもの視線に、ノボルも気がついたのだろう。
「なんだよ、それ……『捨てた』とか、大げさすぎだって」
「んだば、なんでこっちの言葉ば喋んねぇ?」
「それ……は……」
「やっぱり捨てたんだべ。地元のだっせぇ言葉なんて、忘れちまったんだべ」
「べつに、そんなことは──」
「だば喋れ! 喋ってみ!」
「いや……」
「捨ててねぇんだば、喋れんだろうが!」
旧友に詰め寄られて、ノボルはなんとも言えない顔つきになった。そこから伝わってくるのは「困惑」、あるいは「拒絶」だ。
やがて彼は、素早く周囲を見まわした。笑うと細くなる彼の目が、元クラスメイトたちの上を過ぎていく。
その様子に、沙帆はどきりとした。まるで、ノボルに敵か味方かを探られているような気がした。
もちろん、今日集まった十数人のなかに、ノボルの「敵」はいない。皆、彼を好ましく思っている、ただの「元クラスメイト」ばかりのはずだ。
それなのに、ノボルは口元を歪めた。嫌な感じに、歪めた。
ダメだ──これは良くない笑い方だ。長い間、彼を見つめてきたからこそ、わかる。これは、ノボルが本音とは違うなにかを発しようとするときの顔だ。
「女だべ!」
気づけば、沙帆はそう叫んでいた。
「ノボルがカッコつけになったの、女ができたからだべ!」
沙帆のその言葉をきっかけに、室内の空気が大きく一変した。
「マジで!?」
「どんな子?」
「芸能人だば、誰さ似でる?」」
皆の興味が、恋愛話へとシフトする。先ほどまでおかしな絡み方をしていた剛史ですら「カノジョの写真見せろや!」と、新たな話題にすっかり夢中だ。
「いや、いないって! マジで俺、ずーっとフリーだって!」
必死に弁解するその顔は、これまで沙帆がさんざん目にしてきた、よく知る「ノボル」だ。
(えがっだ……これだば安心だ)
沙帆は、飲みかけのレモンサワーにちょびりと口をつけた。喉を通過するほろ苦さは、今の自分の心情と少し似ているような気がした。
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